奈良県が消えた時代(2) 大阪府から独立。そして観光振興へ 【再掲載】 | 奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ

奈良県が消えた時代(2) 大阪府から独立。そして観光振興へ 【再掲載】

前回の奈良県が消えた時代(1) の続きです。

奈良が消えた時代の経緯はこのようになります。


慶応 4年(1868) 1月:大和のおさえとして奈良に大和鎮撫台を設置。
慶応 4年(1868) 2月:大和国鎮撫総督府に改称する。
慶応 4年(1868) 5月:大和国鎮撫総督府を廃して、
                旧幕府・旧旗本、寺社朱印地を管轄とした、
                奈良県を設置。
                大和国内の各藩領は存続した状態である。

明治 4年(1871) 7月:廃藩置県」が断行。
                奈良・五條両県と郡山藩などの13藩が県となる。
                (計・15県)
明治 4年(1871)11月:奈良県が大和国一円を統括する。
明治 9年(1876) 4月:奈良県は堺県と合併する。
明治14年(1881) 2月:堺県は大阪府に合併される。
明治20年(1887)11月:大阪府から分離して奈良県が再設置される。

奈良は、明治維新後、新政府の施策のため
、わずかな期間にめまぐるし、変貌を要されることとなったのです。
大阪府から分離した背景には、府政の重点が摂河泉に偏り、大和がおざなりにされる傾向があったからです。

奈良県独立を成し遂げるには、大和選出の府議員をはじめとした「奈良県再設置運動」という苦難の運動がありました。

しかし独立県となった後にも苦難が待ち受けていました。
明治初年に奈良にはこれといっためぼしい産業がありませんでした。
そうして、奈良は、県の振興のため、”観光”に活路を見出すことになったのです。



奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ-興福寺 五重塔(こうふくじ ごじゅうのとう)





関西広域連合に参加をしぶるのは、
こういう経緯があったからかな?
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