嫁はよく結婚の話をした。


両親が離婚していることもあり、結婚に対しての考えが強かったのかなと思う。


僕は正直、将来のことは何も考えていなかった。まだモテたいしいろんな恋をしたいと思っていた。


嫁とは考え方が違うような気がしてきて、徐々に気持ちが冷めていく。他に好きな子ができた。


別れ話は好きじゃない。みんなそうだろうと思う。体力を使うし、お互いに良い気分にはならないから。


ものすごく自分勝手で一方的な理由で嫁に別れを告げた。強い意志を持って別れることにしたので、連絡を断つことにした。


それから、新しく彼女ができた。正直めちゃくちゃ好きなわけではなかったが、いろんな経験をしてみたかったので付き合った。


新しくできた彼女と、嫁を比べてしまうことが多かった。見た目然り、嫌いなもの、性格、アイデンティティー、そして好きな音楽。


音楽と記憶はすごく繋がってると思う。好きな曲を聞くと、嫁との思い出が蘇る。毎日毎日、嫁のことが頭に浮かんだ。


自分勝手な考えで別れることになった手前、易々と元彼女になってしまった嫁に連絡することは僕のプライドが許さなかった。気持ち悪い思春期の偏屈なプライドだ。


新しくできた彼女にも悪いなと思いながら、半年近く付き合った。同じクラスだったし、クラスの、みんなが記念日を祝ってくれたりもしたが、正直楽しくはなかった。


高校生活最後の夏がきた。嫁と別れてから、部活にはちゃんと行くようになっていたので最後の試合はレギュラーとして出場することができた。嫁に試合を見せられなかったのは、今でも後悔している。


部活を引退してからは、放課後特にやることもなく身体が鈍るのも嫌でランニングをするようになった。


ランニング中にイヤホンから金属音みたいな甲高い声が流れる。嫁が1番好きだったバンドの曲。


衝動的にツイッターを開く。嫁のアカウントを探すと、かろうじてブロックされていない。フォローしてみた。すぐにフォローが返ってきた。僕はすかさずDMを送る。好きとか嫌いとか、付き合いたいとかやりたいとかそんな感情ではなくて、単純に嫁に会いたいと思った。


数日後、嫁に会うことができた。








上矢印


今日お風呂でおぼれかけた我が家のバカ猫。




僕たちは付き合いだしてからずっと一緒にいた。


嫁とは別の高校に通っていて、とにかく連絡を取り合った。授業中も、休み時間も、放課後もずっと。


嫁の家まで自転車で40分以上かかる。僕の高校からだと1時間以上かかってしまうのだが、そんなことは気にしない。高校生の有り余った体力を舐めないでほしい。


色んなことを話した。僕たちは好みが一致することは少なかったが、嫌いなものが一緒なことは多かった。


音楽の好みは似通っていたので助かった。僕は小さい頃から音楽が好きで、J-POPでもロックバンドでもボーカロイドでもアイドルソングでもアニソンでもなんでも聞く。良い音楽はジャンルを問わない。


嫁は僕の好きな音楽を本気で聞いてくれるし、僕も嫁から勧められたら迷わず聞く。そして、気がつくと2人とも同じような音楽を聴いていることが多くなった。



付き合っていくうちに、嫁の家庭環境が複雑なことがわかった。


嫁には兄と姉がいるが、父親が違うこと。嫁が5歳ぐらいで両親が離婚していること。今は母、姉、甥っ子の4人で暮らしていること。昔、オカマのおじさん(赤の他人)と一緒に生活していたことは衝撃的に面白かった。


嫁はそんなことをさらっと話す。特に気にも留めずに。自分は母親が亡くなっただけで、不幸な人生を送っていると勘違いしていた。なんなら、今まで何不自由なく幸せな家庭で育ったんだなとも思わされた。


こんなことを言うと、嫁が不幸な人生だったのかと思われるがそんなことはない。実の父親のことは相当嫌っていたが、母親や姉とは仲良しでそれなりに楽しくやっている。先入観だけで物事を捉えるのはやめなくてはならない。とも思った。



僕たちは片親同士で、分かり合える唯一の存在だった。唯一と言えちゃうところは、高校生という狭い世界しか経験していない子供だったということだ。



僕たちは順調だった。高校2年生になり部活もサボりがちで嫁に会いに行っていたぐらいだ。おかげで、試合には全く出れなかった。



高校2年生の11月だったかな。僕は自分勝手な人間だった。そう思った。







上矢印写真は僕と娘の生まれたての写真。似すぎていて恐ろしい。







特に話したことはなかった女子2人が家に来て少し緊張したが、プリントだけもらって大丈夫ー?大丈夫だよー的な話をして帰っていった。


そして、学校に1日だけ早く復帰した。


そこから、僕と嫁の間には何の進展もなかった。


中学2年生の時初めて彼女ができた。この子は今の嫁ではない。


高校1年生の4月ごろまで付き合ったが、僕が振られる形でこの恋は終わった。


そこから、半年が過ぎて11月ごろだったかな。


当時LINEのタイムラインという機能が流行っていて、何人かの友達は今でいうツイッターみたいな感覚でタイムラインを更新していた。


嫁がタイムラインを更新していたので、なんの気なしにコメントしてみたら意外と会話が盛り上がり家が近かったので直接会って話すようになった。


最初は男女数人で楽しく話したりするだけだったが、僕は家にいても話す相手がいないので、一番暇そうだった嫁とよく会うようになった。


そこから、他の女の子と付き合って嫁に相談したり、嫁の好きな男の子の話を聞いたりした。


まあ、よくあるパターンだが相談相手が恋愛対象になっていったのだ。


晴れて僕たちは2013年の1月2日に付き合うことになった。高校1年生。恋は盲目だ。







母が亡くなった翌日の夜にお通夜が行われた。


僕は斎場で母の顔を眺めていた。死化粧という言葉を初めて聞いた。


お通夜が始まる少し前に、幼馴染の家族が母の顔を見に来た。アパートの隣の部屋に住んでいて、生まれた頃からよく見てきた顔だった。



僕の幼馴染はどんな声をかけていいのか分からない様子だった。すると、幼馴染の母親が僕の所に小走りに来て僕を抱きしめた。


今日は泣いていい。泣いていいから、明日からは泣くな。今日からお前が大黒柱だろ。そんなことを言った。


まだ父親がいるのに、大黒柱になるのかとか変なことを考えながら泣いた。枯れるほど泣いたのに、まだ涙が出る。



ひとしきり泣いた後、僕は金輪際泣くのはやめようと思った。(実際は嫁とのことで散々泣いている)



その後、通夜と翌日の式は滞りなく行われた。僕はもう泣かなかった。式の後、姉が火葬場で過呼吸を起こしたことだけ覚えている。




学校は忌引きで1週間休みだった。僕は自分でもびっくりするくらい、母の死を受け入れていた。今考えると、そうした方が楽だと本能的に感じていたのかもしれない。


3日も経つと、ケロッとした顔でゲームをしていた。父親と姉は1週間も休まなかったが、僕はゲームをしていたかったのでなんとなく1週間休みを取った。


最終日も当然ゲームをしていた。お供は八つ橋。硬過ぎて歯茎から血を流しながら噛み砕いて食べなければならなかった。



ゲームをしながら、明日からの学校生活のことをぼんやり考える。みんな寄ってきてくるかなとか、気を遣って喋りかけられなかったら嫌だなとか、クラスの可愛い女子が話しかけてきたらどうしようとか。早く学校に行きたいなとも思った。



その日の夕方、家のチャイムが鳴る。家に僕しかいなかったのでインターホンを取ると、同じクラスのクラス委員の女の子だった。休んでいた間のプリントを持ってきたらしい。僕は少しでもカッコつけたいという男心が働き、急いで服を着替えて玄関を開けた。


女子クラス委員の隣に、もう1人僕と同じくらいの背丈をした女の子がいた。同じクラスの女子。




そう、何を隠そう、この女の子が僕の嫁だ。





ある日突然、母が亡くなった。


その日のことはよく覚えている。僕はバスケ部で練習試合があった。


その日初めて父親と母親が2人で試合を見にきてくれた。1年生だったので出場時間は短かったけど照れ臭い感情とは裏腹に、いつもより張り切ってコートを駆け回った。


家に帰ると母が晩御飯を用意している所だった。


僕は当時、思春期と反抗期が入り混じった絶妙な時期だったので、母とはよく口喧嘩をしていた。


でもその日は母も僕も機嫌が良かった。試合を見にきてくれたし、試合が見られたからだ。なんだかんだ、男はみんな母親のことが大好きだ。


家族みんなでご飯を食べ終え、テレビを見る団欒の時間。


母は食器を洗っている最中に突然呼吸がしにくいと言い出した。


徐々に頻呼吸になる母を見た父はすぐに救急車を呼んだ。



ちょっと病院に行ってくるから、起きて待ってろ。



父にそう言われた。僕は何か嫌な予感がしたので、起きていた。深夜1時を回っていた。


深夜2時を過ぎたころに家の固定電話が鳴った。父からだった。


寝ている姉を起こし、近くに住んでいた祖母と3人でタクシーに乗り病院に向かう。雨が激しく、タクシーを打ちつけた。


病院に着くと父が病院の玄関前で泣き崩れていた。びしょ濡れで膝をついて泣いていたのを見て、僕は初めて大人が声を上げて泣く所を見たなと思った。



もう遅かった。


姉が過呼吸になり倒れる。姉まで死んでしまうのではないかと心配になりずっと側にいた。


夜中の3時。朝か夜か分からない時間だった。そんなこと僕にはどうでもよかった。






今日は嫁の出番なし。


ではでは。また明日。







嫁との出会いは13歳のころ。


中学1年生のとき、親の事情で転校することになり転校先のクラスに彼女がいた。


僕は転校生ってだけで、学年中から注目を浴びた。


1人だけ制服が違うし、体操服が違う。何より学生鞄が違ったのが大きかった。


転校先の中学校では、学生鞄をリュックサックみたいに両肩で背負うのが規則だった。


僕の持っている学生鞄も両肩で背負うことができたが、前にいた学校では入学早々その紐を切ってしまう人が多かった。例にみず、僕も切っていた。


片側の肩だけにかけた鞄は、転校先の先生達から散々注意されたがどうしようもない。そもそも、そんなダサい背負い方はしたくないから紐を切っているのだ。


学年で目立っていたこともあり、なぜか僕は密かに女子から人気だった。バスケ部だったのも影響したかな。


これは後から聞いた話だが、嫁も当時、僕のことが気になっていたらしい。嫁と仲の良かった友達が僕のことが好きだと言い始めてからは、気にならなくなったらしいが。


そんなある日、突然僕の母が他界した。僕が13歳で、母は41歳だった。


急性心不全だった。


ではでは、続きはまた。



上矢印

写真はうちで飼ってるラブラドールレトリーバーのジェイク君。まだ子犬だが、20キロ以上ある。僕は猫派だ。







みなさん、初めまして。



福岡県在住、24歳、既婚、子持ちのイクメン初心者です。



今年の1月14日、嫁が急性リンパ性白血病の診断を受けました。


家に帰る暇もなく、即入院。


妊娠37週で発覚したため、検査にて出産可能であるとのことで、翌日の1月15日に陣痛促進剤を使用して経膣分娩開始。無事シジミみたいな目をした女の子が生まれました。


事情が事情なので、職場からは育休取得を勧められ1月20日より育児休暇開始。イクメンになりました。


嫁の闘病日記や、家のこと、娘のこと、今までの夫婦のことなど少しずつ書いていけたらなと思っています。


では、明日も生きてますように。


あぁ、今日も夜泣きで眠れない。


ちなみに、上矢印写真は飼ってる猫ちゃんグッ

足長マンチカンのチャーリーちゃん。雄だけどね。