
にゅーばらんすの靴を買ってもらったのだ。
お店で試しに履いてみたとき、びっくりするぐらい自分の足にフィットした。わたしの足がしゅるりと靴の穴を滑り抜けて、すぽってハマる瞬間、「フィット!」って靴から聞こえた気がした。きっとこの靴はわたしと出会うために産まれて来たんだ、なんて自惚れてみる。半額の値札を付けられて、箱からも放り出されて、裸ん坊な姿になってもなお、静かに棚に座ってわたしのこと待っていたんだ。そんなのただの大袈裟な妄想だけれど、でもロマンチック。
ニューバランスのスニーカーが去年の暮れ頃から流行っている?いた?少し前まで色々な場所でニューバランスのスニーカーを買った報告や欲しいっていう声を聞いた気がする。おしゃれな人が履いている。友達にも欲しいって言ってる子がいたようないないような。そういうの聞いてるとついつい欲しくなってしまう、わたし。我ながら単純な人間だと思う。だってニューバランスのスニーカーなんて小学生のときに履いた以来だし、それまで存在すら忘れていたのだもの。みんなが欲しいって言ってると、たちまちそれが至極素敵なモノに思えてしまうのだから、わたしってやつはまったく.....。まんまと流行りに乗っている自分が、かっこ悪くて恥ずかしい。それと同時にいたって普通でまともな人間なんだな、って思う。みんなと同じ感覚を持っている。みんなと同じものにときめいてる。誰もが安心して目を向けれるものだけを作り出す。はみ出しても、飛び出してもいない。それは良いことなのだろうか?喜ぶべきことなのだろうか?......なぜかわたしはがっかりしてしまうのだ。去年は自分自身をよく見つめた一年間だった、そして自分に対して強く感じたのは「わたしはふつうだ」ということ。それはコンプレックスとなって、わたしの心を暗くした。何か一つでも人より飛び出しているものが欲しいと願った。それが真っ直ぐでもぐねぐねに曲がっていても良いから。他人との差別化を図りたかった。
今はそれほど落ち込んでない。ふつうでもおもしろみがなくても目の前にあることを地に足つけてこなしていけば、見てくれている人が必ずいて認めてくれるって分かったから。それ分かったのつい先日だけれど。きっとわたしも他人にはない「なにか」を持っているはず。まだ見つけれていないだけで、埋もれているだけで。生きているうちに見つかるのかな。分からないけれど、「なにか」を探し続けることが人生だとしたら、人生はとても意味のあるおもしろいものだと思う。