米国では前年7月公開済で、
日本では公開を危ぶまれたが
アカデミー賞受賞後ようやく日本公開
映画 『 オッペンハイマー 』 鑑賞
見ごたえある上映時間3時間
音響が大きいのでご注意
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オッペンハイマーは理論物理学者
原爆の父と称される
1930年代末には宇宙物理学の領域で
中性子星やブラックホールを巡る研究を行っていた。
第二次世界大戦が勃発すると
1942年 米国は原子爆弾開発を目指す
マンハッタン計画が開始される。
1943年、オッペンハイマーは
ロスアラモス国立研究所の初代所長に任命され
原爆製造研究チームを主導した
彼らのグループは世界初の原爆を開発し、
ニューメキシコでの核実験(『トリニティ実験』)敢行、
この時オッペンハイマーは
インドのヒンドゥー経典バガヴァッド・ギーターの一節、
『 我は死なり、世界の破壊者なり 』の言葉を
思い起こしたという。
やがて大日本帝国の広島市・長崎市に投下された。
戦後、ハリー・S・トルーマン大統領と初対面した際、
『 大統領、私は自分の手が
血塗られているように感じます 』 と発言。
トルーマンは彼のことを「泣き虫」と罵った、
彼は科学者であり『 人間 』だった。
1947年にはアインシュタインらを擁する
プリンストン高等研究所所長に任命され
1966年まで務めた。
原爆による広島・長崎の惨状を知った後に
原爆の破壊力や人道的影響、倫理的問題に関心をもち
水素爆弾など強力な核兵器開発に反対するようになり、
『 水爆の父 』 エドワード・テラーと対立、
水爆開発に反対した事を問題視された。
核兵器は人類にとって巨大な脅威であり、
人類の自滅をもたらすと考え核軍縮を呼びかけ、
原子力委員会のアドバイザーとなりロビー活動を行い、
ソ連との核兵器競争を防ぐため尽力、
冷戦を背景にジョセフ・マッカーシーが赤狩りを強行し
オッペンハイマーのキャリアに大きな打撃を与えた。
妻キティ、弟フランク、フランクの妻ジャッキー、
およびオッペンハイマーの大学時代の恋人
ジーン・タットロックはアメリカ共産党員であり、
オッペンハイマーは党員では無かったが、
共産党系の集会に参加したことが暴露された。
1954年4月12日、
原子力委員会はこれらの事実にもとづき、
オッペンハイマーを機密安全保持疑惑で
休職処分(事実上の公職追放)とした。
この処分はソ連のスパイ疑惑のオッペンハイマーを
危険視したものだがスパイ行為は確認されなかった。
1960年来日
1967年2月18日没 62歳
生涯私生活をFBIに調査されていた。
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