「 あぁ~ぁ 眼科を開業したけど
ヒマだなぁ ~
ロンドンは スモッグだらけだから
眼科は うはうは 儲かるかと思ったけど
あてが外れちゃったねぇ
ヒマだから 与太話でも書くか
とりあえず 犯罪小説でも 、、、、 」
1887年のクリスマス
『 緋色の研究 』 が
『 ビートンクリスマス年鑑 』 に発表された。
「 あっちこちの出版社から断られ
結局 ワード・ロック社に 25ポンドで
著作権ごと買取られちゃったよ
あぁぁあ すんごく 徒労
もう 探偵物は書かないぞ 」
しかしアメリカの雑誌
リピンコット・マガジンからの依頼を受けた。
「 あぁ これはこれは ご依頼ありがとうございますぅ
えぇ 何でも書きますよ えっ 探偵小説ですか ?
はいはい なんなりと お任せくださいぃ ~ 」
『 四つの署名 』 が
『 リピンコット・マガジン 』 1890年2月号に掲載されると
ホームズは人気を博した。
「 やっと 時代が 追いついてきたようだな
もう はやらない眼科は 廃業だ うははは ♪ 」
だが、ドイル自身は歴史小説や SF物に価値を感じ、
シャーロック・ホームズシリーズを疎ましく思えてきた。
「 ホームズと間違えて おバカさんから
探偵依頼がワンサカ来るし
鬱陶しい ~ !
もういいや ホームズ・シリーズやめちゃおうっと ♪ 」
しかし読者はホームズの復活を声高に要求した。
ホームズの死を悼んで
これ見よがしに喪章を着けて外出する熱狂的読者もいた。
「 あぁ ホームズをモリアーティ教授と一緒に
きっちり滝壺にしずめたのに
また書かなきゃいけないなんて
どうやって 生き返らすんだよ
どうしたって 苦しい言い訳
考えなきゃいけないじゃん !
みんな 最初は無視してたくせに
出版社も 読者も勝手なもんだ
トリックや 話の筋の あら探して難癖つけるしぃ
テメエラらで 書いてみろてぇんだ ばぁ~ろぉ ! 」
売れても売れなくても
とかく作家さんは大変なようです、
サー・アーサー・コナン・ドイル
( Sir Arthur Conan Doyle、
本名:Arthur Ignatius Conan Doyle、
1859年5月22日 - 1930年7月7日 )は
イギリス・スコットランドのエディンバラ生まれの小説家で、
推理小説・歴史小説・SFを多く著した。
1902年8月9日にKnight Bachelorに叙せられた。