大聖堂の門はクリスマスイブの
夜の集まりが終わった後も
閉められていませんでした。
ネロは 初めて大聖堂に入りました。
パトラッシュは ネロの足跡を探しました、
足跡は大聖堂の門から 白い雪を落して奥へ続いていました。
その かすかな白い一筋に導びかれて、
神々しい静かな堂内の広びろした円天井の下を通り、
ルーベンスの画が 飾られた場所まで来ると、
そこに倒れているネロを見つけました。
パトラッシュは、よろめくように駆け寄って、
ぴったりと顔を すり寄せました、
ネロは 低く叫んで身を起しました。
そして、しっかりと犬を抱きしめながら ささやきました。
「 パトラッシュ、可哀想なパトラッシュ。
僕たち 一緒に死のうよ、
世間の人は、もう僕たちには用がないんだ 」
パトラッシュは 答えの代りに、
ネロの胸に その頭を押しつけました。
ネロとパトラッシュは 刺されるような寒さの中で、
しっかりと抱き合って 横になりました。
彼らが横たわっている 石造建築の広い内部は、
冷えきっていました。
ルーベンスの画の下に 彼らは横たわっていました。
ネロは あまりの寒さに 体は痺れ、眠気が襲い、
次第に 気が遠くなって行きました。
そしてネロとパトラッシュは
空腹に衰弱し、血は寒さに凍りそうになり、
今 死の淵にいるのです。
突然 白い光が 聖堂の中に射し入りました。
月の光でした。
いつしか雪は降り止んで、雲間を逃れ出た月の光は、
二つの名画を 照し出しました。
この一瞬、ルーベンスの名画は
月の光に 浮かび上がりました。
思わずネルロは立ち上り、両手を画の方へ差し出しました。
感極まった涙が、その青ざめた頬に あふれ落ちました。
「 見た、あぁ 僕は とうとう見たよ 」
と、ネロは叫びました。
「 あぁ 神さま もうこの上は 何もいりません 」
足の力が尽き 膝まずきながら、
なおも ネロは喰い入るように 荘厳な画に見入りました。
月の光は 静謐な聖堂内を照らし
ネロの憧れのルーベンスの画を隅々まで
はっきりと 示しました。
しかし 月は雲に隠れ 堂内は再び 闇に包まれました。
絵画に 差し出されていたネロの両手は、
再びパトラッシュの体を抱きました。
「 あぁ このまま天国に いけたなら
きっと 神さまの お顔が 拝めるだろう 」
ネロの唇が かすかに動きました。
「 神様は 御慈悲深い
僕たちを お見すてにはならないさ 、、、 」
夜が明けました。
アントワープの町の人々は、大聖堂内に
少年と犬の姿を見つけました。
もう彼らは冷たくなっていました。
さびしい夜の寒さは、若い命と、年老いた命とを、
静かな眠りにつかせたのでした。
クリスマスの朝が明け、神父たちが来た時には、
ルーベンスの名画は 覆いをとられて、
その偉大なる天才の筆の跡をあらわし、
朝の光が、神の子の頭に置いた茨の冠を照らしていました。
やがて、一人の男が泣きながらやって来て言いました。
「 わしは この子に、何という むごい扱いをしたのだろう。
あぁ すまない すまない、罪滅しをせねばらなぬのに
手遅れになってしまった。
わしの娘の アロアの婿に なるべきはずの子だったのに 」
有名な画家がやって来て 集まっている人々に言いました。
「 絵画コンクールで 本当の値打から言ったら、
この子の絵が 選ばれるべきだった。
あの夕暮の、倒れた樹に腰を下した老樵夫の画。
あの画には 天才の閃きがあった。
未来には きっと優れた画家になれる子だった。
わしは 探し出して
その才能を 磨こうと考えていたものを 」
少女は泣きくずれ、父の腕に すがりつきながら言いました。
「 ネロ いらっしゃいよ。支度は みんなできているのよ。
あなたのために、仮装した子供たちが、
それぞれに贈り物を手にしているし、
笛吹きの お爺さんが、今 吹きはじめるところなの。
あなたと 私は、このクリスマスの一週間、
暖炉のそばで 過ごしていいんですって。
クリスマスの一週間どころか
いつまでいても かまわないって。
ね、パトラッシュも うれしいでしょう。
早く起きていらっしゃいよ、ネロ 」
けれども、ルーベンスの画に向けたままの その顔は、
口許に かすかな笑みを浮べたまま、
「 もう おそい 」 と
周りの人々に 答えているかのようでした。
ネロが 懸命に求めていたものを、
今になって 初めてアントワープの人達が与えたのです。
少年の腕は 離すことのできないほど
しっかりと犬を抱きしめていました。
ネロとパトラッシュは 遺体を安置するベッドに移され
少女アロアの願いで 暖かそうな毛布を掛けられました。
「 ネロ、パトラッシュ、さぞ寒かったでしょう 、、、 」
「 少年と この犬は 一緒に葬ってあげましょうか 」
神父が 言いました。
「 はい ネロとパトラッシュは いつも一緒だったのですもの 」
少女アロアは 目に涙をため 言いました。
彼女は ネロたちから 離れませんでした。
大人たちは 葬儀の準備に かかっていました。
日が昇り 聖堂に温かな光が差し込み、
凍えるような寒さも和らぎました。
少女はネロから 目を離すことができませんでした。
どのくらい時間が経ったでしょう、
少年の青白い顔に 少し赤みがさしているように見えました。
「 ネロ ! ネロ ! 」
少女が 叫びました。
「 お父様 お医者様を 呼んで ネロが 、、、 」
少年は 息を吹き返しました。
「 ふ~む この子は おそらく低体温症で
仮死状態になっていたのでしょうな。
室温が上がり 毛布を掛けられて 徐々に体温が上がり、
息を吹き返したのです、
犬と一緒だったので 厳冬の夜にも
かろうじて 生命が維持されたのでしょう 」
医者は 言いました。
「 おぉ まるで クリスマスに奇跡が 起きたようだ、
主が降架されて 三日後に復活されたように 」
神父が 感慨深げに言いました。
「 ありがとう ありがとう
パトラッシュ、
あなたは 命尽きるまで ネロを守ってくれたのね 」
少女の目は涙で溢れました。
パトラッシュは ネロの
新しい未来に向かう姿を 見届けるように
永久の眠りに ついたのでした。
おわり