まじかに法律に縛られたアホがいるので

”山口判事は、悪法だが法に殉じようと敢然と餓死を進んだ裁判官

を思い起こした。

 

私は規則に縛られない、自称自由闊達な思考をモットーとしている。

そのために多くの発明もした。

物理学者ファイマンのような物理や人生に枠を嵌めない生活を理想としていた。

 

”法律に縛られたアホ”とは正反対である。

 

考え方が真逆でお互いに近くで生活したくないのだが

環境がそれを許さないのだ。

 

そういうことは職場でも人生において二度あった。

それも、こちらが嫌うのではなく

相手が自分を嫌うのだ。

はっきりとした理由もなくこちらを嫌うのだ。

 

山口裁判官については戦時中の物資がない時代に

法律を守ろうとして闇米に手を出さないために

餓死したのだろうが

それも一つの選択だ。

 

人を嫌いになり徹底的に嫌うのも自由な選択だ。

 

イエスキリストは汝の敵を愛せと教えているが

そのイエスでさえ 偽善者を

マムシの子らと避難している。

 

聖書の一字一句が無矛盾ということはない。

 

山口判事は自己の信じる法律に絶対服従することを選んだ。

それは自分に与えられたと信じている自由意志の行使したまでだ。

 

人を憎むのも非難するのも同じだ。

 

法律は不完全なもので正しさに限界があるにしても

拘束されないはずの精神的帰省にも従い

他人を拘束するヒトも少なくない。