聖絶は明白な意味が定義されていないように見えるが
主には
” 聖絶(せいぜつ)とは、聖書信仰の立場によって訳された『新改訳聖書』において造られたヘブライ語のヘーレム(חרם、ḥērem)の訳語(造語)である。一般的な用途に用いることを禁じ、神のために聖別すること、ささげられたもの、奉献物、のろわれたものを意味している”
”聖絶の対象とされた敵対異民族は全員が剣で殺され、また家畜も含め生けるものは全て殺戮された。また、通常の戦闘では許される女子どもの捕虜も、また家畜などの戦利品も、聖絶においては自分たちの所有物とすることは許されず、全てが神への捧げ物とされなければならなかった。さらに、それ以外の剣でもって滅ぼせないものは火をもって焼き尽くされ、また、燃やすことの出来ない金銀財宝などは神殿の奉納倉へ納めて、「呪われた汚らわしきもの」として民衆の手からは隔離されなければならなかった。そして、聖絶のものを私物した者は、神の怒りに触れるものとして、罰として処刑された。聖書はその理由として、イスラエルに聖なる生き方をさせて、彼らが先住民の宗教からの誘惑に負けて神に対して罪を犯さないためであるとする(申命記7:1-6、20:16-18)
”
聖絶は故 国際クリスチャンセンターの東秦男牧師(アメリカで私が洗礼を受け)が詳細な分析をしている。
東師によれば悪霊は物質にも取り憑き物質についた悪霊を聖絶するのは容易ではなく特別の人でないとできないという。
聖絶(せいぜつ)をwikipedia で見ると 反ユダヤを殲滅するためのキーワードに利用しているように思える。
エリコの虐殺や現在のイスラエル・ハマスの戦いの自己正当化に使えるように思われる。
最もイスラエル自身は聖絶を援用はしていないがエリコでの戦いで異邦人を殲滅することは自明と考えているに違いない。
と思いきやエリコの戦いの史実はないとも言われているのでもっと深い戦略が隠れているというのが
ここ数日の私の思いだ。
一部追加転載:
”
この聖絶という行いは、現代風に言えば間違いなく「民族浄化」すなわち本来の意味における「ホロコースト」に他ならないとし、従ってヘーレムの語を「ジェノサイド」ないしは「殲滅」として解釈する向きも多い[33][注 4]。
また、イスラム過激派がテロ行為を正当化する際に用いることのあるジハードや、オウム真理教が殺人を正当化した際に使ったポアとの類似性を指摘する声も多い。”