回顧録をかく場合、人名の記憶が問題になる。
イメージでの記憶はクリスタル・クリアーなのだがどうしても人名がついてこない。
記憶から表に上がってこないのだ。
言葉と画像の記録は脳の別の場所に記録されているのだろうが、言葉のメモリーサイズはイメージのメモリーサイズに比べて遥かに小さいのに、なぜ人間の脳の構造は格納サイズの大きいイメージの方を優先するのだろうか。
創世記では言葉(ロゴス)から世界は作られるてイメージの重要性には触れられていない。
どうしても名前が思い出せないので親しい友人に助けを求めたら、ヒューマン・ネットワークを使って
あっという間に発見してもらった。個人単独の努力よりも人と人のつながりを大切にしろということなのか?
興味ふかい課題ができた。
協力していただいた、みなさん、ありがとうございます。