公人や芸能人などがマスコミから糾弾される例がひんぱんにある。
このとき我が国では、その糾弾の理由が倫理的な行動をやぶったことにたいして詫びるのではなく、”世間をおさわがせした”ことにたいして詫ている。
詫びる当人は本当は”世間をさわがせたこと=マスコミを賑わせて本当はマスコミに貢献しているのだが(視聴率をあげるネタをもらって感謝をしなければいけない)、マスコミが善としている建前にさからっただけだと知っている”。
このマスコミの仮面の空気というものは意外と権力があり、事務次官や大臣もたじたじで
あおの強腰で傲慢とも言える麻生大臣や安倍総理大臣でさえタジタジとなるほどだ。
どこぞやのレスリング大学の総長や池坊などのトップのその村社会ではトップの偉いご婦人もマスコミにはさからえない。同様の事情は我が国だけではなく韓国の大韓航空のお嬢様もどうようで韓国のマスコミがさわげば、社長職相当をしりぞかなければならない。

だれもがいまの社会のマスコミ=傲慢な中流マスコミはこわいらしいことをしっているので、まずマスコミの記者=世間にたいして追求をやわらげてもらうために
”おさわがせをしました”とわびなければいけないことを体感的に空気として
知っているのだ。

こういった社会の空気は、週間文春や週間新潮などの記者のスキャンダル記事をはびこませていて社会の質を落としている。

正すべきはそこではないか。