特許はその特性として最先端技術の発明が主役である。
近年の科学技術は指数関数的である。
一方、法律の世界は最先端とは真逆で慣習的・保守的である。
最先端技術の世界を最も保守的な法律が規制すること自体が不合理なのだ。
特許の条件である自然法則の利用という特許の要件はそもそもいまの時代にそぐわないにも
かかわらず、生きている。
もともとそぐわない対立する概念を無理に合致させようとするものだから無理がでてくる。
その無理な議論の良い例が
出願実務者の観点からみた「自然法則の利用」柴 大介
である。
このような不合理の世界を改善する発明が必要である。
ドクター中松にでもがんばってもらわねば。
一部転載:
”
要約
知財高裁に「自然法則を利用」していないと判断された「人の精神活動」等を構成に含む創作について,どのようにしたら「自然法則を利用」した発明としてクレームを構成できたのか,という命題を立てて,出願実務者の観点から「自然法則の利用」を考察した。
”
〔はじめに〕
特許要件の 1 つである特許法 29 条 1 項柱書は「産 業上利用することができる発明をした者は,次に掲げ る発明を除き,その発明について特許を受けることが できる」と規定され,「発明」とは,特許法 2 条 1 項で
「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度の ものをいう」と規定されている。
従って,特許庁での出願の審査において,出願請求 項に記載された創作が「自然法則を利用」していない と認定されると,特許法 29 条 1 項柱書に規定される
「発明」ではないとして,出願は拒絶されることにな る。
ところで,後述する判決例の対象となったような教 材,カレンダー等の出願依頼を弁理士が受けた場合, しばしば,出願対象を「自然法則を利用」した発明と してクレームを構成するために結構な緊張を強いられ る,と思う。
何故ならば,「特許・実用新案審査基準」(以下,審 査基準という)第II部第 1 章 1.1 によれば,「自然法則 を利用」していない創作とは「自然法則以外の法則
(例えば,経済法則),人為的な取決め(例えば,ゲー ムのルールそれ自体),数学上の公式,人間の精神活動 に当たるとき,あるいはこれらのみを利用している」
ものであり,教材,カレンダー等の創作がこれらに該
当するか否かが微妙な場合が多いからである。
審査基準は,さらに「発明を特定するための事項に 自然法則を利用していない部分があっても,請求項に 係る発明が全体として自然法則を利用していると判断 されるときは,その発明は,自然法則を利用したもの となる」としているが,どのような場合に全体として 自然法則を利用したものになるかについては「技術の 特性を考慮して判断する」と説明するだけで,具体的 な判断基準を提示していない(1)。
また,これまでの判決例や論文等は,対象となる 個々の発明について「自然法則を利用」しているか否 かを判断,評釈してはいても,それでは一般的にどう クレームを構成すればよいのかについては,当然のこ とながら説明してくれていない。
そこで,知財高裁に「自然法則を利用」していない と判断された創作(2)について,どのようにしたら「自 然法則を利用」した発明としてクレームを構成できた のか,という命題を立てて,出願実務者の観点から
「自然法則の利用」を考察した。 なお,以下の議論において,特許法 2 条 1 項の規定
を「発明該当性」といい,引用した事項について,筆
者が適宜,下線付与,省略又は改行した。
この論考の著者の結論は
”
提案したクレーム案が,はたして審査で「自然法則
を利用した」と認定されるか否かは,発明者と出願技
術者が,人間の精神活動等を構成に含む創作がどうい
う判断基準で審査されるかについての現状をよく把握
した上で,さらに試行錯誤し,ある意味では審査官と
協働して審査実績を蓄積しつつ判断していくしかない
ように思う。
その作業は,審査官,審判官,裁判所及び学者が主
体的になしうることではなく,発明者の意向を十分に
理解した出願実務者しか主体的になしえないと思われ
る。
”
これは 自然法則の利用の義務といういかがわしい制約は審査官だけでは実現できないと
いわば現状のやり方では特許条件をみたすかどうかの判定は極めて困難なことをいっている。
そのとおりなのだが
もう一歩踏み込んで”自然法則の利用義務”そのものの
大前提の見直しを再考すべきだとすれば正しい方向の議論になれたのに一般人にはそんなことはだいそれたことで思いもつかないことであろう。
近年の科学技術は指数関数的である。
一方、法律の世界は最先端とは真逆で慣習的・保守的である。
最先端技術の世界を最も保守的な法律が規制すること自体が不合理なのだ。
特許の条件である自然法則の利用という特許の要件はそもそもいまの時代にそぐわないにも
かかわらず、生きている。
もともとそぐわない対立する概念を無理に合致させようとするものだから無理がでてくる。
その無理な議論の良い例が
出願実務者の観点からみた「自然法則の利用」柴 大介
である。
このような不合理の世界を改善する発明が必要である。
ドクター中松にでもがんばってもらわねば。
一部転載:
”
要約
知財高裁に「自然法則を利用」していないと判断された「人の精神活動」等を構成に含む創作について,どのようにしたら「自然法則を利用」した発明としてクレームを構成できたのか,という命題を立てて,出願実務者の観点から「自然法則の利用」を考察した。
”
〔はじめに〕
特許要件の 1 つである特許法 29 条 1 項柱書は「産 業上利用することができる発明をした者は,次に掲げ る発明を除き,その発明について特許を受けることが できる」と規定され,「発明」とは,特許法 2 条 1 項で
「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度の ものをいう」と規定されている。
従って,特許庁での出願の審査において,出願請求 項に記載された創作が「自然法則を利用」していない と認定されると,特許法 29 条 1 項柱書に規定される
「発明」ではないとして,出願は拒絶されることにな る。
ところで,後述する判決例の対象となったような教 材,カレンダー等の出願依頼を弁理士が受けた場合, しばしば,出願対象を「自然法則を利用」した発明と してクレームを構成するために結構な緊張を強いられ る,と思う。
何故ならば,「特許・実用新案審査基準」(以下,審 査基準という)第II部第 1 章 1.1 によれば,「自然法則 を利用」していない創作とは「自然法則以外の法則
(例えば,経済法則),人為的な取決め(例えば,ゲー ムのルールそれ自体),数学上の公式,人間の精神活動 に当たるとき,あるいはこれらのみを利用している」
ものであり,教材,カレンダー等の創作がこれらに該
当するか否かが微妙な場合が多いからである。
審査基準は,さらに「発明を特定するための事項に 自然法則を利用していない部分があっても,請求項に 係る発明が全体として自然法則を利用していると判断 されるときは,その発明は,自然法則を利用したもの となる」としているが,どのような場合に全体として 自然法則を利用したものになるかについては「技術の 特性を考慮して判断する」と説明するだけで,具体的 な判断基準を提示していない(1)。
また,これまでの判決例や論文等は,対象となる 個々の発明について「自然法則を利用」しているか否 かを判断,評釈してはいても,それでは一般的にどう クレームを構成すればよいのかについては,当然のこ とながら説明してくれていない。
そこで,知財高裁に「自然法則を利用」していない と判断された創作(2)について,どのようにしたら「自 然法則を利用」した発明としてクレームを構成できた のか,という命題を立てて,出願実務者の観点から
「自然法則の利用」を考察した。 なお,以下の議論において,特許法 2 条 1 項の規定
を「発明該当性」といい,引用した事項について,筆
者が適宜,下線付与,省略又は改行した。
この論考の著者の結論は
”
提案したクレーム案が,はたして審査で「自然法則
を利用した」と認定されるか否かは,発明者と出願技
術者が,人間の精神活動等を構成に含む創作がどうい
う判断基準で審査されるかについての現状をよく把握
した上で,さらに試行錯誤し,ある意味では審査官と
協働して審査実績を蓄積しつつ判断していくしかない
ように思う。
その作業は,審査官,審判官,裁判所及び学者が主
体的になしうることではなく,発明者の意向を十分に
理解した出願実務者しか主体的になしえないと思われ
る。
”
これは 自然法則の利用の義務といういかがわしい制約は審査官だけでは実現できないと
いわば現状のやり方では特許条件をみたすかどうかの判定は極めて困難なことをいっている。
そのとおりなのだが
もう一歩踏み込んで”自然法則の利用義務”そのものの
大前提の見直しを再考すべきだとすれば正しい方向の議論になれたのに一般人にはそんなことはだいそれたことで思いもつかないことであろう。