6月17日中国の広州で放射線物理の学会分科会があり参加してきた。
あいにく雷雨の時期で参加者の皆さん現地に到着するのに苦労され
なかには参加をみおくった人も少なくなかったという。
我々の感覚からするとそれほどの雷雨にはみえないのだが
飛行機が到着できないとみこしてつぎつぎと遅れてしまうのだった。
わたしなどは成田からの出発が3時間まえになったときかされていってみると逆に3時間もおくれて
合計6時間もロスをしてしまった。
新幹線もずいぶんおくれなんのための新幹線やら。
学会のほうは会議専門ともおもわれるようなところでたくさんの学会やらあつまりが
同時に行われていた。
講演は日本から3名、ドイツから1名、そのほかは外国の施設からの中国人をふくめて
全員が中国人であった。
講演の言語は英語や日本語を臨機応変に参加者が同時通訳していた。
プログラムのまた臨機応変でもともと1日でおわるものが
翌日の午前まで延長されていた。
広州は大きな都市なのだが日本からいくとなると移動に1日かかり
わたしなどはいくのにまる24時間もかかってしまった。
帰りは朝早くおき自宅に着いたのは午後9時すぎであった。
あいにく雷雨の時期で参加者の皆さん現地に到着するのに苦労され
なかには参加をみおくった人も少なくなかったという。
我々の感覚からするとそれほどの雷雨にはみえないのだが
飛行機が到着できないとみこしてつぎつぎと遅れてしまうのだった。
わたしなどは成田からの出発が3時間まえになったときかされていってみると逆に3時間もおくれて
合計6時間もロスをしてしまった。
新幹線もずいぶんおくれなんのための新幹線やら。
学会のほうは会議専門ともおもわれるようなところでたくさんの学会やらあつまりが
同時に行われていた。
講演は日本から3名、ドイツから1名、そのほかは外国の施設からの中国人をふくめて
全員が中国人であった。
講演の言語は英語や日本語を臨機応変に参加者が同時通訳していた。
プログラムのまた臨機応変でもともと1日でおわるものが
翌日の午前まで延長されていた。
広州は大きな都市なのだが日本からいくとなると移動に1日かかり
わたしなどはいくのにまる24時間もかかってしまった。
帰りは朝早くおき自宅に着いたのは午後9時すぎであった。