偶然、大好きな日本最大のユーモア作家北杜夫の遺言を発見した。
以下のよう(クリック)
「北杜夫死亡のとき。 2000年2月20日決定 (北杜夫署名)
死亡しても半月ほど発表せず、骨を焼き、二階の書斎の右棚にある茂吉の骨とまぜ、青山墓地の「齋藤家之墓」○におさめるべし。なるたけ母輝子の骨のそばがよし。
通夜、葬式、しのぶ会は一切しない。ただし、ごく内々にて、妻喜美子、娘由香の希望する十人から十二、三名の人々に遺骨を見せるのは許す。更に○○の人を会合にさそうのも許す。
由香の発案を小生も納得したこと。
死亡発表後、香典は受取る。香典返しなし。(これは人がそうしたほうがすっきりするという理由から)。花は食べられぬし○すぎると邪魔ゆえ辞退すること。ミツギモノ、更によく、受取ること。(遺族をたのしませるため)。
以上、正式に遺言す。
また一部の小生の生原稿は残すし、茂吉の短冊も残すから、遺族生活に困った際は堂々と古本屋などに売りはらってよい。残る者の生活、なにより大切なり。
他の小生、茂吉の作品は世田谷文学館にキフすること。軽井沢高原文庫の展示会は一回のみ許す。また、北杜夫の文の石碑、など一切作ることを許さず。そう世間の人に発表すべし。小さな記念館たりとも作ることを許さず。
ただ、然るべき少数の作品は文庫などでなるたけ残るよう出版社に頼むべし。ただし小生を理解し家族も認める編集者のいる出版社にかぎる。
2000年2月20日午 これを記す。 本名齋藤宗吉(齋藤宗吉署名)」
以下のよう(クリック)
「北杜夫死亡のとき。 2000年2月20日決定 (北杜夫署名)
死亡しても半月ほど発表せず、骨を焼き、二階の書斎の右棚にある茂吉の骨とまぜ、青山墓地の「齋藤家之墓」○におさめるべし。なるたけ母輝子の骨のそばがよし。
通夜、葬式、しのぶ会は一切しない。ただし、ごく内々にて、妻喜美子、娘由香の希望する十人から十二、三名の人々に遺骨を見せるのは許す。更に○○の人を会合にさそうのも許す。
由香の発案を小生も納得したこと。
死亡発表後、香典は受取る。香典返しなし。(これは人がそうしたほうがすっきりするという理由から)。花は食べられぬし○すぎると邪魔ゆえ辞退すること。ミツギモノ、更によく、受取ること。(遺族をたのしませるため)。
以上、正式に遺言す。
また一部の小生の生原稿は残すし、茂吉の短冊も残すから、遺族生活に困った際は堂々と古本屋などに売りはらってよい。残る者の生活、なにより大切なり。
他の小生、茂吉の作品は世田谷文学館にキフすること。軽井沢高原文庫の展示会は一回のみ許す。また、北杜夫の文の石碑、など一切作ることを許さず。そう世間の人に発表すべし。小さな記念館たりとも作ることを許さず。
ただ、然るべき少数の作品は文庫などでなるたけ残るよう出版社に頼むべし。ただし小生を理解し家族も認める編集者のいる出版社にかぎる。
2000年2月20日午 これを記す。 本名齋藤宗吉(齋藤宗吉署名)」