浄 界 |
人が世界がこわれる。そのあとの、 物質のない空間。 生命のまだない あるいは、それの終った青さ。 種はまだそれが胎動し、 膨張し、増殖し、 新しい破滅にむかっての 意欲のない透徹。 それと対決する人間の 脱皮物または、放擲物(ほうてきぶ)として、 あらゆる機能を支離滅裂にして、 主題を新たにした世界、 それを浄界となづけ、 破滅となったいっさいは、 それを信じ、それを求める。 またたづねれば、密々とこめた 曇天の外の覆われるもののない 無窮の青空のとどろき 雲の石鹸から立ちあがる 次々の這う子、手をあげる子 飛行機はそれらに影を落し 飛行機の窓から眺める人々は、 その雲を踏んでどこまでも 歩いてゆきたい衝動に駆られる。 すべての人のこころがそこで 浄界に吸われてしまうようとしている証だ。 しかしまちがえてはいけない。 「浄界は時間がないか それがありあまっているのだ」 「むろん人を罰するのもはなく、 それをよみする神などもいない」 浄界を司るものを、 神、仏、と呼ぶか、 契約(ちかい)の固い浄界のもの共は 太古から一度ももたらしたことはない。 それでこそ浄界がいつも浄(きよ)いばかりではなく、 人間たちも貪欲を忘れ、 一つの世界がこわれても あるいはまた一夜にふえても、 決してなぐめられないいのちは また決して、絶望を育むことを忘れず、 善悪を支える時間は逝き、 平滑(なだらか)にいのちを籠絡(ろうらく)する。 「人間とはなにか、生きるとはなにか」 その質問を無駄にくり返すな 人のつくった神は返答に困るだけ。 その最も兇悪無残なもの人は --- それならばこそ いつも爽快(すこやか)なのだ ---それなればこそ恐怖をしらないでいられるのだ (金子光晴) |