国のやることは似たり寄ったり。
チェルノブイリ事故でも安全基準を操作していたらしい
京都大学の6人衆のひとりの
今中哲二助教の翻訳記事で、

暴かれたチェルノブイリ秘密議事録
アルラ・ヤロシンスカヤ 
今中哲二・訳 
(イズベスチヤ紙、1992年4月24日)

 

チェルノブイリのウソ 
 4月26日1時23分50秒、ヒロシマの300倍もの放射能とともに、原子の爆発が鳴り響いた。チェルノブイリ以前、大地にそのようなことが起きるはずはなかったが、今では、すべての人がそのことを知るようになった。しかし、クレムリンの壁の向こうの共産党政治局秘密会議は、機密の封印とともに秘密のままであった。会合の参加者は、チェルノブイリについてすべての真実を知っていたが、ウソと情報隠しにより、国と世界をだましたのであった。彼らはまさに、真実を、東側諸国向け、西側諸国向け、IAEA向け、そして国民向けと振り分けて配給したのであった。国民には、ほとんど何も知らされなかった。
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<<機密。議事録その9、1986年5月8日。(...)ソ連保健省は、放射線による住民の許容被曝基準を、従来の10倍にするという新基準を決定した(添付書類)。特別な場合には、この基準は、従来の50倍まで引き上げることが可能である。>>(!:著者)。議事録はさらに加えて、<<...かくして、現状の放射線の状況においても、今後2.5年間にわたり、すべての年齢の住民の健康は保証される。

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事故から数年後、「70年間に35レム」という有名な基準、これにはベラルーシやウクライナの学者、さらにはソ連最高会議の専門家も反対しているが、その基準の提唱者であるイリイン科学アカデミー会員は、議会の公聴会において、以下のように認めている。「基準を、35年間に7レムへと下げるとしたなら、移住を想定する住民数は、現在の16万6000人から、約10倍にも増やさねばなりません。150万人以上の人々の移住であります...。社会としては、そのような行動がもたらす、すべての危険度とすべての利益を秤にかけねばなりません(下線著者)。」

これを年間許容被曝量シーベルトmSv/y に換算してみよう。
まず
35/ 70 rem/y= 500 mRem/y =  5 mSv/y

この基準を 1mV/y
とすると対象者が増えすぎるという理由で
それはできないといっていた。

日本では 
御用学者はみな
100 mSv/y 
で安全なのが科学的根拠にもとずいているなどといって
いることはご存知でしょう。
ロシア共産党でもそこまで滅茶をいっていなかった。