巷の八十翁さんの3回目の投稿です:



今日は、先に満タンにした車を運転して、放射能の依頼分析を引き受ける民間機関として名が知られてきた水戸の化研で日夜奮闘している諸君に、アトランタに居る娘やその友達から送ってきた救援物資のうちすぐに食べられるカップ麺などを差し入れに行きました。化研では、厚生労働省が放射能濃度の許容指標値を発表して3月17日以来、地震の被害も克服して、延べ1200件余の種々の試料について蓼沼社長の陣頭指揮下、本社員20名のうち10名が昼夜かかりきって放射能測定を行っています。現状でも数百件の試料が残っており、本日も引き切らず依頼が届いていました。昨日曜日は初めての全日休養を取ったそうです。アメリカから来たものなら元は日本でも放射能はないな、との冗談は妙に真実味が感じられました。

私は、帰り道運転しながら、私にとっては何時も目頭が熱くなるあることを思い出しました。それは、ウェストミンスター寺院の入り口近くに、埋め込まれている記念プレートで、「最初の出撃で生き残ればベテランだった」と説明される第二次大戦で英国の空を守って戦死した500人の多国籍空軍パイロットのものです。私が、何時も目頭熱くなる原体験は、中央線武蔵境駅近くで、隼のエンジンと機体ですが、250kg爆弾を固定し、空っぽの照準管を風防窓に取り付けても武器はなく、離陸するための車輪はあっても、離陸後は自動的に落下して生還出来ないようにした、配属将校でさえ気違いじみているといった特攻機を試作していた中島飛行機の工場に中学2年の秋から3年の夏まで動員されており、完成した飛行機を試験飛行のために隣の調布飛行場までわくわくしながら押して行くような飛行機少年としての経験と、B-29の空襲があるたびに調布飛行場から離陸する、隼の後継機であった帝都防空戦闘機の3機編隊の内、垂直尾翼が赤い機体が、恐らく機関砲弾も機銃弾も装備してない体当たり専用であることを子供でも知っていたし、毎日まるでスターウオーズの映画のようにB-29に撃墜される戦闘機を眺めていたからです。

英国空軍の主力はスピットファイアで、機体は脆弱ですが、英国人はだれでも知っているロールスロイス製で強力な過給機が特徴のA1エンジンを搭載して、特に上昇能力に優れ、1940年の7月から3カ月半に915機の損失で、1733機のドイツ機を撃墜して、ドイツ軍の英国侵攻を諦めさせました。後に、チャーチル首相が、「人類の戦争史上、かくも多数の人間がかくも少数のお陰を被ったことはない」と演説したのは有名です。500名のパイロットだけではなく、整備兵やスピットファイアを生産し続けた労働者、不十分なレーダーを補助した民間防空隊、ロンドンを守った消防士、さらに地下鉄駅に籠って生き残った市民を含めて賛辞を送ったものと理解します。

優れた過給機を開発していれば、B-29に負けない戦闘機をもてたのに、戦略を誤って大和魂と天祐を信じて戦争した国の無謬性は、敗戦によって微塵になった筈ですが、いつの間にか仲間同士で無謬性を作り上げて、真に必要なものに目をつぶっていたのではないでしょうか。

現在、福島サイト現場で日夜奮闘されている皆さん、国民を不安から守るため、あふれ返る依頼試料の放射能を日夜測定している皆さん、そして、避難所で不便な生活強いられておられる退避住民やその介護に努める皆さんがすべて困難と闘っていると考えます。将来、難関を克服できたとき、だれが日本を導いているか判りませんが、時の総理は是非チャーチルのスピーチを引用し、国民を代表して謝辞を述べて頂きたいと思います。

巷の八十翁