煽り、パパラッチ、疑問形の無責任な標題。
今日もメディアは人間の悪評ばかり映します。
逆に番組という仮想現実の人間は褒められる。
その温度差が辛い。
どうして、その人間はそこにいたのか。
コネもあったかもしれない。
ちゃんと実力でのし上がったかもしれない。
応援してくれる人たちのおかげかもしれない。
でも、それをメディアは教えない。
それをネタにするときは、宣伝時と故人となった時くらい。
無力感ばかり襲ってくる。
そして映さない人は実力さえないのだと、暗にほくそ笑む。
生み出した人は亡くなってるのに、「二次創作」が延々と続いてくのも辛い。
企業が権利を持つという事。
それがある限り、作者の思惑は外れていくかもしれないのに。
皮ばかり似せて、何かのアピールに使われ。
それが当然であるかのように中身がころころ変わる。
そして、皮の外で真似した人には激昂する。
なぜならそうしないと、皮が溶け、維持できなくなるから。
それがどんどん表面化し、肥大化し。
そんな中できるのは
過去面白くもなかったものを面白くする努力。
そしてそれも完成すれば権利として皮を張る。
世の中が、「似ている」という一言へと収束されていく。