突然抱きしめられ、虎姫は驚く。
「…話って?」
ワグナーは静かに語り出す。
「…実はね、ワグナーという名は、この家を出る時に決めた名前なんだよ…。」
虎姫はワグナーの顔を見あげる。
「それって…。」
彼の表情は少しだけ、厳しかった。
「わたしの、本当の名前は…。」
一瞬の間が、虎姫には数秒に感じられた。
「…セシオス。」
「セシオス…。
それが貴方の本当の名前なのね。」
ワグナーは、虎姫としっかりと目をあわせる。
「そうだ、貴族の生活と一緒に捨てた名前さ…。
嘘偽りまみれのこの狭い世界で、家督を継ぐのが嫌になってね…。」
ふと遠くを見る青年の横顔。育ちが良さそうだとは思ったが、貴族出身だったのか。
「そう、ハンターとして生きることを選んだ時に、この場所に置いていった名前…。
…二度と口にする事は無いだろう、そう思っていたよ。」
どことなく切なげに笑う彼を見つめる虎姫。
ワグナーは、もう一度、虎姫を抱きしめる。
「だけど…どうしてかな、君には知ってもらいたかったんだ。」
恋人の背中を抱きしめ返してあげながら、虎姫は言った。
「セシオス…ワグナー…、そんなのどっちでもいい。
あたしには、どれがあなたの本当の名前かなんて、関係ないよ…。
だってあなたは、あたしの一番大切な『あなた』なんだから…。」
名前であなた自身が変わるわけじゃない。
虎姫の言葉を、ワグナーは何度も噛みしめる。
――やはり、この女性で正解だった。
わたしが、わたしであり続ける為に、この人が必要なんだ――。
ワグナーの、愛しい者を見る視線に、虎姫の視線が交錯する。
「「愛してる…。」」
寄り添う二人の影。
草原の向こうで、キラリと何かが光る。
抱きあう二人を遠くから見守る人影。
その胸で、青緑の宝石が揺れた。
「大きくなったわね…、セシオス……。」
白い花が、ひゅうと舞い上がった。
婚前旅行 fin
とわ&GG共著