葉山町長柄で鎌倉権五郎景政長江太郎義景ゆかりの寺社さんをめぐった〝火打石〟

 

夫婦、6/10の〆は高野山真言宗のお寺、仙光院さんとなりましたニコニコ

 

 

 

☝「上の里子育て地蔵尊」・・・お地蔵さまを見かけると心が和むのは〝火打石〟が日本人

 

 だからでしょうか?。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

☝「当山縁起」には

 

 当寺は、長谷山真福寺仙光院と稱し、高野山真言宗(総本山和歌山県高野山金剛峯寺)に属しています。

 永正年中(1504~20年)に長覺阿闍梨が開基したと伝えられます。

 風土記は「永正中長覺が再興する云々」とあり永正より前に既に開基されたと考えられ

ます。長覺は鎌倉地方に真言宗を広めた真言宗史上重要な名僧でした。(後略)

 

 

と記されていますが、文中の“永正年中(1504~20年)”は、前回の記事でUPさせて頂いた

 

長運寺さんの開山の時期(大永年間(1521~1527年☜記事 こちら を参照なさってください)

 

と近い。(ウィキペディア「永正」参照) 長運寺さんも真言宗のお寺さんですから、二寺の開山

 

/開基には長覺阿闍梨の活躍があったということかしら?。長覺阿闍梨についてネットを

 

浚ってみると、コトバンク「長覚」に“1340-1416 南北朝-室町時代の僧。” 、“高野山に登り,

 

義宣や頼円など多くの学匠から密教を修学する。さらに鎌倉,能登など各地の学問僧を訪ね,

 

真言密教や悉曇(サンスクリット)学の研讃を積む。”などの記述があります。長運寺さんは

 

三浦不動尊第二十五番の札所でしたが仙光院さんは第二十四番の札所(こちら)。☝の

 

「当山縁起」にも記されていますが御本尊は十一面観音さま。そのほか大日如来さま、

 

毘沙門天さま、不動明王さま、弘法大師像、畠山地蔵さまなどを祀られています。

 

 

 

 

 

 

 

 

☝畠山地蔵・・・“鎌倉時代中期、運渓道人の作と云われ、源頼朝の右腕として活躍した畠山

 

重忠(一一六四~一二〇五)の念持仏として知られている。長柄長徳寺の所有であったが、

 

お堂が老朽化した為、平成十五年十月二十六日に当寺に安置された。 翌年十月二十四日

 

境内に地蔵堂を建立する。 ”と解説にあります。(畠山重忠についてはこちら この武将も

 

歌舞伎に名前の出てくる人ですねあせる→鎌倉権五郎景政の『』と同じ“「歌舞伎十八番」の内” 『景清』や

 

壇浦兜軍記』の「阿古屋の琴責め」など) 

 

 

 

 

 

仙光院さんは湘南七福神のお寺さんでもあります(こちら)。毘沙門天さまをお祀りされて

 

いらっしゃいます。仙光院さんの毘沙門天さまは大和国の信貴山の毘沙門天さまを勧請

 

されたとのことですが、去年の5月、お参りしたなぁ信貴山 朝護孫子寺さんニコニコ。この日は

 

図らずも湘南七福神のお寺さんを三寺(玉蔵院・長運寺・仙光院)お参りしてしまったびっくり

 

残る四寺は逗子にあるので次回は“逗子で寺社めぐり”かな?。

 

 

 

 

☝ぽっくり観音さまニコニコ。御利益に与れますように汗

 

 

 

 

仙光院さんの御朱印はこちら☟(*^▽^*)

 

 

 

 

 

 

予習はして行かなかったけど、こうして参詣記を起こしてみると、それなりに充実した寺社

 

めぐりだったかな?と思える6/10の寺社めぐりあせる。湘南七福神や三浦二十八不動尊霊場に

 

ついての情報も得られたしニコニコ。もう夏も本番で、葉山も逗子も観光客でさらに賑わっている

 

でしょうが、行きたいんですよね、「萬鐵五郎展叫び・・・

 

 

 

 

また夫に無理を言ってしまおうかしら??。「この辺りは冬に来なきゃ(動けないドクロ)」と

 

こぼしてたけどショボーン。夏に湘南に出ても行く所が違う〝火打石〟夫婦、再びのチャレンジを

 

目論むお気楽な妻なのでしたあせる