念願?だった佐野厄除大師さんの参詣を終えて、時間的にはもう本日はこれぎりとしてもよい
ような時間になっていたのですが、せっかく野州まで出てきたのだから…と未練がましく寺社
めぐりを続行する〝火打石〟夫婦。クルマを走らせて、この日最後の参詣となったのは
足利市寺岡町の寺岡山元三大師さん。
佐野厄除大師さんに続いて元三大師詣。
寺岡山元三大師さんのサイトからお寺の歴史(こちら)を引用させていただきますと、
寺伝によると、聖徳太子の命よって建立され、『下野八薬師』と称されていたと伝えられて
いる。
元文年間(江戸時代)東山天皇の第三皇子、崇保院宮前天台座主准三后一品公寛法親王が、上野東叡山寛永寺(輪王寺門跡第六世門主)をされていた時、足利市寺岡町出生の亀田庄左衛門則重公が、永年身命を賭しての忠節を認められ、【 日本に3幅 しか現存しない】元三慈恵大師尊影御真筆を拝領する。
その後、自家に安置して礼拝恭敬していた所、『困窮の人、救済すべし』という元三大師自らのお告げを受け、元三慈恵大師尊影御真筆を寺岡山施薬院薬師寺(後の寺岡山元三大師)に奉納するに至る。
以来、寺岡山薬師寺は寺岡山元三大師として厄除け・商売繁盛の祈願寺として江戸の人々の信仰を受ける。
檀家をとらず、祈願寺のみの寺院として歩んできた経緯には、当時の栄華と信仰の顕れが伺える。
とのこと。「下野八薬師」をネットで検索するとウィキペディアで「下野薬師寺跡」と出てくる…
「下野薬師寺」ももちろんいずれは訪れたい史跡ですが、今は寺岡山元三大師さんの参詣記
を。(「元文年間」は1736~1740年←ウィキ「元文」参照 “暴れん坊将軍”、徳川吉宗公の
「享保の改革」の“享保”に続く元号です。)
御本堂で掌を合わせた後、「いじめ除観音」さまにも合掌…今朝参詣した上州太田の
冠稲荷神社さんの聖天宮でも御利益に“ストーカー除”とありましたが(こちらの記事を参照
なさってくださいm(_ _ )m)、寺社の境内で“いじめ”や“ストーカー”という語を目にするとは
…時代なんですかねぇ。いじめで苦しむ子が一人でも減りますようにと祈願しました。
☝絵馬に“神のみぞシール”が貼られています。そうですよね、いじめで悩んでる人の願い
ですから人目に晒されてはいけませんよね…
いつものことですが、遅い時間の参詣となってしまいましたので、写真もあまり撮れません
でした。ほんとに閉門ギリギリの参詣
。申し訳ない
…それでも御朱印の授与も快く
してくださいました。ありがとうございましたm(_ _ )m。
元三大師さまの御札も拝受しました。角大師と豆大師の御札です。
寺岡山元三大師さんは元三大師御尊影として、関東最大の大石像を安置していらっしゃる
そうです。(こちらのページ参照) 遅い時間の参詣だったため御本堂に上がれなかったのは
とても残念…
※御本堂の写真はお寺さんのサイトのこちらのページをご覧になってください。
寺岡山元三大師さんで今回の毛野の地での寺社めぐりは終了…お腹が空いたので何か
食べようということになり、ご当地ラーメンの佐野ラーメンを食することに。
佐野厄除大師さんのお向かいのラーメン屋さんの写真。〝火打石〟たちが入ったのは
佐野市出流原町のおぐら屋さん。ラーメンとチャーシューメンとギョウザをいただきました
がとてもおいしかったです。
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毛野の地で寺社めぐりに励んだ後、半月ばかりは地元静岡県でおとなしく?していましたが
卯月の八日は東京都調布市の深大寺さんをお参りしてまいりました。深大寺さんも厄除
元三大師のお寺ですね。前回の記事でも触れましたが、ウィキペディアの「関東三大師」では
「関東の三大師」に寺岡山元三大師さんや深大寺さんを入れる説もあるとか。次回は“元三
大師シリーズ”(←なんじゃそりゃ)で深大寺さんの参詣記をUPいたしますね
。