お休みを1日前倒しでいただいた3/17の金曜日、上州太田の世良田町で寺社めぐりに励んだ
夫でしたが、この日の〆は
久々のモスク見学…伊勢崎モスク(こちらのページもどうぞ)を訪問。とはいえこちらでも
“先生”がいらっしゃらなくて見学できず。残念…
※“先生”についてはこちらをどうぞ。〝火打金〟は〝火打石〟の夫です。夫は拝受した
御朱印、御札等を自身のHPで公開しております。
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明けて18日、朝一番で太田市細谷町に鎮座される冠稲荷神社さん(ウィキペディアはこちら)
を夫婦で参詣。
「境内のご案内」で見ると、こちらは甲大鳥居ですね。参道を進んでいくと…
群馬県の県指定天然記念物“冠稲荷の木瓜”…“3月中旬から4月上旬、全樹が緋紅色の花
で染まる開花最盛期”とサイトにありますが、3/18、ドンピシャでしたねぇ、狙ったわけでは
なかったんですが。これも御利益でしょうか?。(こちらのページもご覧になってください。)
☝拝殿ですね。
冠稲荷神社さんの本殿、拝殿は共に太田市の市重要文化財になりますが、こちらの拝殿で
〝火打石〟夫婦の目を惹いたのが鹿の剝製(と言ってしまって良いのかな?)。これを見て
〝火打石〟が思い出したのが神社検定の試験勉強中(懐かしいなぁ…壱級に合格してからもう
3年経つんだ)に覚えた“鹿食免”という言葉。“鹿食免”とはWeblio辞書によりますと
長野県の諏訪大社で頒布されている、鹿を食べてもよいという免罪符のこと。仏教では肉食は禁忌とされているが、諏訪大社は古来から狩猟の神を祀っており、狩猟が獣を救う手段であるとして、託宣(諏訪の勘文)などによって積極的に推進してきた。
となりますが、こちらは稲荷神社さんですからねぇ(“鹿食免”についての解説は、〝火打石〟
にはこちらのページが面白かったです)…ネットでこの鹿の剝製について浚ってみると、
“かっちゃん”さんのブログの「冠稲荷(かんむりいなり)神社巡り」のページで、“この中の右に
「鹿のはく製」が飾ってありました。不思議に思い巫女さんに聞いてみると、宮司さんの趣味と
いうことらしい。”という記述が。へぇ…上州と信州は隣どおしだから“鹿食免”と何か関係が
あるのかと思ったけど、宮司さんの趣味とは。ちょっとびっくり。
こちら☟は本殿。“荘厳な三間社(さんげんしゃ)流れ造り建築は、元禄3年(1690)に再建
され、随所に施された極彩色の彫刻とともに元禄文化の粋を集めた貴重な建造物です。”と
神社さんのサイトにありますが、そのとおり…この絢爛豪華さ、去年(2016年)の初詣にお参り
した熊谷の妻沼聖天山さんを思い出しました。←こちらの記事を参照なさってくださいm(_ _ )m。
写真ではわかりにくくて申し訳ないのですが、本殿北壁面に「琴棋書画」、西壁面に「虎渓
三笑」の彫刻があります。
☝こちらは聖天宮。冠稲荷さんのサイトによると、“「聖天宮(しょうてんぐう)」は、伊邪那岐神
(イザナギノカミ)・伊邪那美神(イザナミノ カミ)の夫婦神を祀る縁結び(えにしむすび)の基、
夫婦和合、親子和合、災難・ストーカー除の社です。 安政4年(1857)に再築され、造建は、
宮中の菊紋を彫った天下一の名工、弥勒寺音八(みろくじおとはち) とその父、音次郎
(おとじろう)によるものです。”とのこと。(弥勒寺音八についてはこちらのページをどうぞ)
サイトの文中にもありますが、〝火打石〟夫婦が再びしてしまったのは
“ストーカー除け”ってΣ(・ω・ノ)ノ!。そんな言葉をサラッと御神徳の項に書かれても…
何かこの辺りでストーカー絡みの事件でもあったのかな?
※拝殿、本殿、聖天宮については太田市のホームページもご覧になってくださいm(_ _ )m。
冠稲荷神社さんは参詣、拝観すべき所の多い神社さんです。(「境内散策 拝殿ご祈祷の
ようす」参照) 写真でUPさせていただいた七福神殿やいなり白狐社の他にもたくさんのお社
があります。
ところで冠稲荷神社さんは「日本七社 冠稲荷神社」と謳っていらっしゃいますが、「日本
七社」って??。その前に神社の御由緒をサイト(「冠稲荷神社と日本七社」)から引用させて
いただきますと
古墳時代六世紀より千五百年の間、義経公 冠奉安を始め、数々の歴史を見つめ、祭祀祭礼
が行われてきた宮の森。
冠稲荷神社は、平安時代の天治二年(1125)、新田氏の始祖 新田義重公の父、源義国公
創建と伝えられ、伏見、豊川、信田、王子、妻恋、田沼と合わせ、日本七社のひとつといわれ
ています。
承安四年(1174)源義経公は奥州下向の折、当社が源氏ゆかりの社であることを知り、冠の
中に勧請(かんじょう)してきた京都伏見稲荷大社の御分霊を鎮祭しました。
また、時を経て、新田義貞公は元弘三年(1333)鎌倉幕府討伐の兵を挙げるにあたり、当社
神前にて兜の中に神霊の来臨を請い戦勝を祈願されたと伝えられています。
この故事にちなみ、いつしか冠稲荷大明神と人々から呼ばれるようになりました。
こちらでも出てきました新田氏(「武家家伝 新田氏」のページ こちら もどうぞ。 「新田義重」「源義国」も
参照)。「日本七社」については、“伏見、豊川、信田、王子、妻恋、田沼と合わせ、日本七社の
ひとつといわれています。”と文中にありますね。伏見稲荷大社、豊川稲荷神社、信太森
神社、王子稲荷神社、妻恋稲荷神社、田沼稲荷神社、そして冠稲荷神社で「日本七社」という
ことだそうですが、豊川稲荷さんは参詣しているけど他の五社はまだ参詣していない;つД`)。
(ほんとだったら去年の師走の京都旅行で伏見稲荷さんも参詣している筈だったのに ←
こちらの記事を参照なさってくださいm(_ _ )m。) 今年は夏と秋に大阪のあべのハルカス美術館に行く
つもりなので()―「没後70年 北野恒富展」と「大英博物館 国際共同プロジェクト 北斎
-富士を超えて-」を鑑賞予定―、信太森神社(葛葉稲荷神社)さんを参詣できたら嬉しいな
。歌舞伎の「葛の葉」ゆかりの神社さんだもの。(こちらも参照されたし) 安倍晴明ファン
の方ならよく御存知でしょうね。
冠稲荷神社さんで拝受した御朱印、御札はこちら☟(*^▽^*)
☝この御札、木の芯の入った御札で、ちょっとお高い。(¥3,000也) 夫は「清水の舞台から
飛び降りるような気持ちで」拝受したそうです。
神社さんのお隣にはティアラグリーンパレス(こちらも)…結婚式場ですが、良いですね神前
結婚。お宮参りといい結婚式といい、やはり神社さんは“ハレ”の場ですね。“ハレ”の
世界にはあまり縁の無い〝火打石〟夫婦ですが(“ケ”の世界をひっそりしぶとく生きてます
←「ハレとケ」参照)、神社さんの参詣はこれからも続けますよ。ハレの場の片隅でこそこそ
と参詣。“安らぎの宮の森”で一日の始まりを清めていただきました。