ピーマン無理… | 学生国際協力NGO FEST TOKYO メンバーブログ

学生国際協力NGO FEST TOKYO メンバーブログ

国際協力の最先端へ―――― 
現地の自立発展を目指す様々な思いを綴ります。

こんにちは。

海外事業部2年の清水彩也夏と申します。
現在、訳あって活動を離れているので、メンバーの中にもはじめましての方がいるかな?(*^^*)笑
様々な媒体から届くみんなの熱心な活動の様子に、毎回励まされています。
これからも、ふぁいと!

今回でブログを書くのも3回目となりました。
あのころは若かったなぁ…としみじみ。。。
今回は、最近私が興味を持っている「トラウマ」について書こうと思います。

トラウマって一言で言っても、いろんな種類のものがありますよね。
犬に吠えられて以来犬怖い、とか
女の子にふられまくって恋できない、とか
ピーマン初めて食べて以来無理、とか…

同じ地球上にはほんとうに様々なトラウマが存在します。
ほかのうちとちょっと違うだけだと思ってた。でもそれは、家庭内暴力だった。
中学生頃から偽名で生活してきた、家族とは会えずにもう死ぬのか。ハンセン病への偏見と間違った知識が生んだ隔離。
同じ部隊の仲間だと思っていた。イラクの地に、アメリカを代表して来たのに。まさかレイプに遭うなんて。

これらのトラウマは、大きい小さい(ここに価値基準を置くのもナンセンスですが)関係なく、一人の人間を蝕み、
時には沈黙の海に沈めてしまいます。
トラウマとその発話の構造を<環状島>に例えた宮地尚子(2007)は、
「今語ることができている者も、いつ<斜面>を転がり落ちて、<内海>に引きずりこまれるかは分からない。沈黙させられ、海の藻屑となって忘却の彼方に追いやられるか分からない。それが環状島である。(p.27)」
と述べています。

そのトラウマを沈めないために、言葉を当てて問題化する、という方法があります。
物事に言葉を当てるという行為は、時に過度な一般化を招くため、慎重にならなければなりません。
しかし、実際に言葉の持つ「イシュー化」の力を借りて、トラウマと戦い、克服した人々は数多くいるのです。

困ったら言葉の力を借りてみるのも、いいかもしれません。
その言葉を借りて戦っている人を応援するのも、いいかもしれません。

言葉にならない、声にならないものに気付くことを、忘れずに。

なが~いまとまり無い文を読んでいただき、ありがとうございましたm(_ _)m
みなさん、風邪にはお気をつけて.+*
どうか、あったかくして寝てくださいね…!



<参考文献>
宮地尚子『環状島=トラウマの地政学』みすず書房、2007