自分が間違いない方法を知っているとき、だれかが失敗する(またはしようとしている)のを、どこまで口出しせず見ていられるだろう?
失敗経験は何よりも強烈な学習である。そんなことが言いたくて書きます。
わたしはパン屋で働いています。店先にいて、商品が並べてある棚を管理するのも仕事のひとつです。商品が少なくなったら、頼んで焼いてもらわなければなりません。頼んだらすぐ焼ける、というものではないので、こまめに状況をチェックする必要があります。
ところが、
わたしはこれが苦手です。。
気づいた時には、抹茶パンが残り2つ、、、なんてミスをたびたびします。
反省していないわけではないんです。失敗をすれば迷惑をかけた自分を責めるし、改善しようと心に決めます。
でも忘れるんです。
この前ミスをしたときも、注意されながら心のどこかで「前も言われたんだけど気をつけられないなぁ」なんてことを考えてしまいました。
、、のんきなもんだな、と思ったでしょ。笑
どれだけ注意されても、当の本人はこれだけのんきなんです。のんきに、「あーきっとまたやるな」とか思ってるんです。
さあ、それはなぜか。
わたしがたどり着いた結論は、「これまでどうにかなってきたから」です。
わたしがパンの減りに気づいていないと、たいていはベテランさんが気づいてくれます。そして、わたしに注意をしてくれるわけです。
その結果、わたしはこれまでに一度も「パンがなくて店がまわらない」なんて取り返しのつかない状況を経験しないで済んでいます。
パンが減るに気づかないのはだめだ
とわかっていても、それを痛感するには至っていない。
もしもベテランさんが一度でも知らんぷりをしていたら、わたしは今と同じようにのんきにミスを繰り返したでしょうか。
自分が教える立場にたったときのことを考えると、わたしはこれまで何度も失敗の芽を摘んできました。
それは正しかったのか、考えどころです。
くれぐれも、わたしは自分のミスを正当化したいわけではないですよ(笑)
わたしの経験について言えば、
1日パン屋が回らないリスクと引き換えに、わたしに学習させようと思えば、そうもできると思います。
子どもが体の使い方や人間関係を失敗しそうなときも、同じことが言えるのではないでしょうか。