安心感を創りだす。
最近高校生を教えるうえで最も気にかけていることだ。
バレーを始め8年。指導者を始めて3年。
安心感のない場所に成長はない。そう確信する場面が何度もあった。
例えばこんなことがある。
サーブ。
バレーのサーブはたくさんある。
体育でよくある「サイドサーブ・アンダーサーブ」
一番スタンダートな「フローターサーブ」
全日本レベルに一番多い「ジャンプフローターサーブ」
別名移動サーブの「ブロードサーブ」
今は亡き「天井サーブ」
そして誰しもが一度は憧れて打ったことがある「ジャンプサーブ」
他にも細かく分ければたくさんあるが、ざっとこんなもんだろう。
サーバー時代があったから当たり前だけど、俺は全部打てる。もちろん片手トスでも両手トスでも。試行錯誤を繰り返すうちに全部にチャレンジしていたのだ。
サイドサーブとアンダーサーブ、天井サーブは試合で打ったことがないけど、それらのサーブは男子プレーヤーだったらほとんどの人が打ったことないであろう。
さて、本題に戻そう。
去年まで教えていた中学校の選手は一名除いたほかの全員がジャンプフローターかジャンプサーブかブロードサーブだったわけだが、今教えている高校では全員がフローターサーブである。
もちろん何も教えていないから当たり前なのだが、サーブで点が取れない分、いろんな意味で苦しい。
そこで、この前のサーブ練習の時に俺は初めて選手たちの前でサーブを打った。
全球リベロ(レシーブのスペシャリスト)に向かって打った。
いつしかの記事でも書いたが、サーブを「なにかひとつ」のものとしてバレーをしていた時期があった俺のことだから、当たり前の結果ではあるが、1本としてまともなレシーブを上げさせなかった。
サーブは全球ジャンプフローター。
そこでおもしろいことが起きていた。
そのめったにボールを逸らさないチーム1のレシーバーが一本としてまともにレシーブを上げれていないの目の当たりにして、選手の何人かが見よう見真似で、教えてもいないジャンプフローターを練習し始めたのだ。
しかし、上手くいくはずはない。
俺だってかなり時間がかかったんだ。練習開始1時間前に体育館に来てひたすらサーブを打ったし、平日は始発で誰もいない体育館に行き、練習していたこともあった。
それだけ完成度の高いものを打とうとするためには努力必要なのだ。
その数日後。
練習に行くとジャンプフローターを打っているやつの人数が大きく減っていた。
その翌日の練習試合では実際にジャンプフローターで一日通したのは部長だけであった。
こうなった理由は簡単だ。
できないからだ。
しかし、それは「できるようになったらやり続ける」という可能性の表れでもあった。
結局「やってみた」という段階でできたのが部長しかいなかったのだ。
そこで俺はサーブ概論の講義(ただのプチMTG)でこのように語った。
要約
サーブはバレー唯一の完全なる個人プレー。
点を決めたらそいつだけの手柄、ミスしたらそいつだけのせい。
だからね、自分のサーブは自分だけのものにしてほしい。
「俺はこういうサーブを打つんだ、拾えるもんなら拾ってみろ」
って打つ前に言えるだけの自信をつけよう。
けどね、その言葉は今いう必要はないんだ。
先を観ようよ。俺たちが勝たなくていけないのは今日の練習か?違うだろ。
4月の総体予選、8月のインハイ予選だろ。
その時いいサーブが入ればいいんだよ。
ミスするのは練習中であれ試合中であれ楽しくない。そんなの当り前だ。
けど、そのミスに耐えれるだけの根性がければ一生その技術は身につかない。
目先の失敗の先にある成功を見つめて練習しよう。
ってな感じだったと思う。
俺がこの話の中で伝えたかったことは
「失敗してもいい」ということ。
「先を見て練習しよう」ということ。
俺は引退する大会以外はどんな結果が出てもいいと思っている。
結果が出るに越したことはないが、初戦で負けようが、二回戦で負けようが、県大会に出ようが、何でもいい。
結局は負けるんだから。
負けというのは、失敗というのは、次につながる大きな糧。
敗者のみがつかむことができる唯一無二の経験値。
俺はこの概念を就任時よりずっと言ってきた。
プレーヤーは常に失敗しないようにと必死なのだ。サーブだって「どうやったら入るようになるんだろう」と、心のどこかで、もがき苦しみながらやっているはずだ。
だからこそ指導者側は「今は入らなくてもいいんだよ。」というスタンスで見守ってあげないといけない。
その危機感で技術習得していくプレーヤーと安心感で指導していく指導者が調和することによって精神的な偏りがなくなるのだ。
今日から我がチームではトレーニングメニューを導入。
悲鳴を上げながら、となりでやっているバスケ部に変な目で見られながら。
俺が考え抜いたトレーニングその1(これからまだまだバージョンアップしていくのだ!)を30分かかってやりぬきました。
きっと明日はみんなで仲良く筋肉痛でしょう。
この筋肉痛が彼らを大きく成長(サイズ的に)させてくれるであろう。