赴任先だったドイツに親しみを感じ、

ふとNHKBS「ベルリンの壁崩壊 宰相メルケルの誕生」を見た。

 

反りが全く合わなかったドイツ赴任時代のBOSSに似ているので、メルケルの印象が最悪だったが、結果 感動で泣いていた。

 

☆☆☆

 

東ドイツで、物理学を専攻していた20歳のアンゲラ・メルケルは、

テレビから流れる1歳違いの国民的アイドル歌手 ニナ・ハーゲンの”カラーフィルムを忘れたのね”を、何度も何度も擦れ切れるまで聞いていた女性の1人だった。

 

その歌詞は、東ドイツの検閲をうまくすり抜けた曲だったが、シュタージ(秘密警察)に抑圧された社会を批判した歌であることを国民の誰もが、知っていた。

 

東ドイツのある日の月曜日。

シュタージの許可なく大勢の人が集まれる唯一の場所、教会での礼拝後、カトリン・ハッテンハウワーは

 

”Für ein offenes Land mit freien Menschen(自由な人々が集う開かれた国のために)”

 

を掲げ東ドイツ初めての学生デモを行い、シュタージに逮捕された。

 

その後デモは、毎週月曜日ごとに大きくなり、結果数年後、国民の声に押される形で、議会では1つの法律を変えた。

 

 

”国民は、目的・親戚血縁の申請なく、旅行をすることを許可する”

 

 

この1つの法律改正と、その日の夕方行われた報道官の”この法律の改正は、即時に施行される”という失言により、人々はその日の夜には国境に殺到し、それがベルリンの壁の崩壊につながることとなる。

 

 

メルケルは、そんな時代背景の中で生きてきた、初めての東ドイツ出身の女性首相に登りつめ、苦労して手に入れた民主主義の重さと、開かれた国の維持の大変さを、任期中ずっと訴えてきたのである。

それがアラブの春に影響を受けた100万人の移民受け入れに繋がり、それが結果、退任のきっかけになるとは、なんとも時代の皮肉である。

 

若い女性だった3人が、少しずつ交わり、そしてベルリンの壁崩壊、東西ドイツ統一につながる。

 

一人一人の小さな行動が、時に大勢の人を動かし、時代を動かす。

 

 

メルケルが退任式で、最後に軍に演奏してもらった曲は、

 

 

”カラーフィルムを忘れたのね”

 

 

であった。