人生最後になるかもしれない稚内への旅 天北線メモリアルと国鉄最後の蒸気機関車 | スプーンの気まぐれ日記

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ご訪問の皆様、おはこん(おはようございますorこんにちは)です。

 

6月30日(日)のつづき

宗谷本線駅探は終わりまして、音威子府駅を後に旧天北線を辿って中頓別町へ行きました。

廃線跡をめぐるというよりも、今回の稚内旅行の最大の目的が中頓別町に保存されている日本最後の国鉄蒸気機関車に会いに行く(来る)ことだったのです。駅探訪はその付録、と言っては申し訳ないのですが、メインは保存機関車でした。

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カーナビの案内に従って走っていくと、目的地の寿公園に着く直前、「中頓別町 天北線メモリアルパーク」の横を通りました。以前からキハ22(キハ22208)が保存されていることは知っています。ここは旧中頓別駅だった様ですね。このバスターミナルの2階には駅ゆかりの展示がある様ですが、この日は残念ながら立入禁止になっていました。

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この駅にあった腕木式信号機なのでしょう。キハ22はだいぶ痛んでます。

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いずれ整備していただける日が来ると良いですね。

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そしていよいよ寿公園へ移動。念願の国鉄最後の現役蒸気機関車49648と対面です(嬉)!

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屋根が無いのにも関わらず、大切に手入れされていることが伝わってきます。

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立派な解説も添えられています。周囲では家族連れが何組か遊んでいて賑やかでした。良い環境ですね。

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この機関車に会えば、同じキューロクの39679や79602そしてD51241などの仲間たちにも縁がつく様に感じました。

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日本で最後の蒸機牽引の旅客列車(C57135)と貨物列車(D51241)が走り終えた後、追分駅構内で貨車の入れ替えに従事していた3輛の9600。当初この49648号機は廃車解体の対象でした。しかし追分機関区の木造の扇形庫の火災によって保存予定の機関車が焼けてしまったため、今ここに姿をとどめているのです。

昭和51年3月、追分駅構内で催されたお別れセレモニーは39679と79602の2輛で行われ、本機は有火であったものの庫内待機でした。新製以来北海道で活躍した本機であるのにセレモニーに参加はできませんでしたが(悲)、名寄の所属で天北線もよく走ったこのカマがこの地に保存されたということは運命のいたずらを越えた必然を感じます。この機関車に会えば、国鉄蒸気機関車最後のその時に見えなかったものを取り戻せる様に思えて、今回の稚内行きを決心したのでした。

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キューロク型は保存機の9633(京都)と9608(青梅)の2輛しか見たことがありませんが、本機をよく見ると足回りがとても力強いのが伝わってきます。大正生まれの機関車が日本で最後まで残ったのも、力強くて扱い易いからなのでしょう。機関車の周りを巡っていると性格の良さみたいなものが伝わってきます。

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テンダーの梁にはバッファーの取り付け跡の丸穴がありました。

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彼が生きていた頃の私はCとかDがつくカマの方が好きで、9600や8620は見向きもしませんでした。なんと勿体無い、というか失礼な(反省)。

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キャブは機関士席と助手席の椅子は撤去れれていましたが、他は計器類含め、良い状態を保っていると思います。

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技術的に復活させることは夢ではないことでしょうけれども、このまま静かに置いて欲しいのかもしれません。

でも九州が8620だったから北海道の9600もまた良いかもですね!

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どうかこの機関車が末長く大切にされます様に(祈)。

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次回は稚内の副港市場・樺太記念館内の「旧稚内港駅」。そして旅行記と続きます。

あと2回です。

最後までご覧くださいまして、ありがとうございます。