スプーンの気まぐれ日記

スプーンの気まぐれ日記

スプーンの趣味が中心のブログにようこそ!!
ヤフーブログから引越して来ましたが、すでに日記ではありません。「気まぐれ」ですから、投稿は密になることも疎になることもございます。
海峡は本日も「ねんどろ」でしょう。健康のために多少の鉄分も摂ります。

ご訪問の皆様、こんこん(こんばんはorこんにちは)です。

 

今回の「人生最後になるかもしれない稚内への旅」計画は、今年3月のとある日の夜にANAスーパーバリューセールの案内で何気に稚内いくらかな?と見たところ、25,000円で往復のチケットが手配できてしまい、思い立ったのでした。

国鉄時代の駅舎から大きく変貌した周囲も含めた変わり様を、この目で見ておきたかったことと国鉄最後の現役蒸気機関車49648号機に会いに行くのが大きな目的でした。

 

いつもならその土地の食も目的の一つであったりするのですが、今回は海鮮ものは食べれませんでした。ジンギスカンなども考えましたが、想定外に観光客が多くて諦めました。

 

それでも記録として今回の食事について記しておきたいと思います。

 

6月29日(土)

夜食用のカップ麺ですが、稚内駅にビルトインしているセコマでオリジナルのうどんと塩ラーメンを買って楽しみました(笑)。作ってるところは本州(エースコック)なんですけどね。

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6月30日(日)

天塩中川駅近くの道の駅でお昼。音威子府の黒いお蕎麦には今回はありつけませんでした。

この辺りで獲れた蕎麦の実を挽いて打ったお蕎麦、という感じでは無いですね。食後のソフトクリームは絶品でした。

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この日の夕食です。前日と同じオムライスのお店でハンバーグです。美味しいです(嬉)!

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今回はラーメン店にも入りませんでしたが、2泊目の宿がドーミーインでしたので夜鳴きラーメンです。

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7月1日(月)

礼文島から稚内へトンボ帰りして昼の食事と思ってお目当てのお店に行ったところ、本日貸切(泣)でしかたなく歩いていたところ、副市場に行きつき、再現された稚内港駅にめぐり逢い、滝の湯の食堂で食べた「焼き魚定食(焼き鮭)」。小雨の港を眺めながら「まぁこれでもいいか。」他の目的は期待以上の成果をあげたのだからと自分に言い聞かせ、ありがたく戴きました。

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今回のお供はトヨタのヤリス。運転しやすくてよく走ってくれました。

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宗谷地方を反時計回りで音威子府を南端に中頓別。国道238号線を走り、もう来なくても良いと思いつつ宗谷岬に寄りました。

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そしてもう1箇所、忘れてはならない記念碑へ。

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市内の移動も車を借りたので楽々でした。

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ここは稚泊連絡船宗谷丸の墓地?

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そしてこちらはC5549号機の墓地ですね。

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機関車を保存するに意義ある場所と言えますが、鉄の身体には厳しい環境でしたね。

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7月1日(月)のつづき

今まで利尻島や礼文島に行ったことはありませんでした。3日目朝イチの便で礼文島往復が可能だったので、フェリーのトンボ帰りですが行ってみることにしました。前夜からやや強めの雨で、フェリー会社も天候調査を発表していましたが、ホテルのカウンターでチェックアウトしながら玄関をみるとタクシーが停まってるではありませんか(驚)!雨の中をフェリーターミナルへ移動する悩みもどこかへ飛んで、急いでフェリーターミナルまでお願いしたのでした。

 

昔はドーム防波堤のところが乗り場だったのですが、今は海保「りしり」の停泊場所になっています。

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今回は韓国からの観光客が多かったですね。遠くに稚内の街が見えます。海上は少し荒れ模様です。

 

この島は6月の初め、お天気が良い日を選んでゆっくり巡ってみたいものです。

 

今日は残念ながら荒れ模様。

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人生最後になるかもしれないと言いつつ、礼文島にはまた行って見たいです。学生の頃はYH桃岩荘が人気でしたが、学生時代に泊まったリピーターが子育てを終えるくらいの年齢になってもまた桃岩荘に来ているという感じで、折り返しの稚内行きは盛大な見送りの中に出港しました。

 

帰りは寄ってしまいました。

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帰りの飛行機も無事に運航し、これも初めて通る東京都心を眺めながら羽田に降りるルートで着陸しました。

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そして今回のお土産です。◯の月をホワイトチョコレートで包んだ様なまんじゅうです。

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稚内近郊で採れたじゃがいも(勇知いも)でクッキーを作り、チョコレートとホワイトチョコレートを挟んだ2タイプが入っています。

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初日セコマで買って気に入った北海道メロンのクリームソーダと流氷まんじゅう。

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どのお土産も家族に気に入ってもらえました。

人生最後になるかもしれないと考えつつも、稚内が魅力ある街であることに変わりありませんね。駅は小規模なりましたが便利さは増しました。町の中を宗谷本線が走る風景は気に入ってます。また初夏の礼文島という魅力ある新たな目標も出来ました。人生最後というのはまたあるかもっていうことが分かりました(笑)。

 

最後までご覧くださいまして、ありがとうございました。

 

ご訪問の皆様、こんこん(こんにちはorこんばんは)です。

 

7月1日(月)

朝イチのハートランドフェリーで礼文島往復して空港行きのバスまでの数時間、ランチを期待していた食堂は貸切で入れず(泣)しかたなく歩いていると副港市場にたどり着きました。

ここで、以前に情報があった昔の稚内港駅の展示を発見!見たい気持ちはあっても、パスで良いかなくらいな軽い気持ちでいました。ご縁とめぐり逢わせは不思議なものですね。先に行った食堂で食事出来ていたならここには来なかったもの。

所在地さえ全く調べていませんでしたのでそれは驚きでした。この中に入っているヤムワッカナイ温泉・滝の湯の食堂で昼食にし、その後ゆっくり見学することが出来たのです。

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手前のホールは子供たちの遊び場になっていました。

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これが現在の稚内駅の前身、稚内港駅です。セットは玄関部分の再現であることがわかります。この駅本屋とは別に、東側(港側)に別棟の立派な待合所があったのかと考えましたが、よく調べると、この解説の画像は同じ建物の西側と東側で、鉄道のホームおよび貨物上屋は西側の少し離れた場所(方位的には南西側)にあったようですね。ですからこの建物は写真の解説にある通り連絡船待合所なのだと理解しました。

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正面の入口からホール側を見ます

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展示内容は正直期待していなかったのですが、よく練られた素晴らしいものです。足を伸ばして見に行く価値があります。正面から入って右側です。

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そして左側。

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稚内駅の先、北防波堤ドームにあった稚内桟橋駅の写真と解説が目立ちます。

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樺太大泊行きの稚泊連絡船の乗船口です。カーテン閉めましょうね(笑)。

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稚泊連絡船の船たち♡です。そういえば礼文島から帰りの船で少し酔ってしまいました。

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民間による稚内と樺太の本斗を結ぶ航路もあったのですね。

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解説です。

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南樺太の鳥瞰地図です。赤い線は鉄道ですね。

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では詳細を右側から。

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栄えていた様子が伝わってきます。

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右奥に稚内と北海道、遠く本州・富士山まで描かれています。

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懐かしいダルマストーブ。列車の中で使われていた物の様です。

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その右側には、航路を含む樺太のジオラマが展示されています。そしてご愛嬌の切符売り場(笑)。

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どうしても海峡に目がいってしまいますね。

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そして連絡船のミニチュアにも。

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港駅セットの外側(向かって左側)には樺太の鉄道についての解説がありました。

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使われた機関車や客車たちです。

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もう一度駅入口をふり返って見ます。

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結果、このセット稚泊連絡船の待合所、入口の反対側は連絡船に乗るための艀の発着桟橋だったのですね。これは見に来て良かったです。

 

最後までご覧くださいまして、ありがとうございます。

次回は旅行記としてのまとめになります。あと1回です。

ご訪問の皆様、おはこん(おはようございますorこんにちは)です。

 

6月30日(日)のつづき

宗谷本線駅探は終わりまして、音威子府駅を後に旧天北線を辿って中頓別町へ行きました。

廃線跡をめぐるというよりも、今回の稚内旅行の最大の目的が中頓別町に保存されている日本最後の国鉄蒸気機関車に会いに行く(来る)ことだったのです。駅探訪はその付録、と言っては申し訳ないのですが、メインは保存機関車でした。

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カーナビの案内に従って走っていくと、目的地の寿公園に着く直前、「中頓別町 天北線メモリアルパーク」の横を通りました。以前からキハ22(キハ22208)が保存されていることは知っています。ここは旧中頓別駅だった様ですね。このバスターミナルの2階には駅ゆかりの展示がある様ですが、この日は残念ながら立入禁止になっていました。

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この駅にあった腕木式信号機なのでしょう。キハ22はだいぶ痛んでます。

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いずれ整備していただける日が来ると良いですね。

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そしていよいよ寿公園へ移動。念願の国鉄最後の現役蒸気機関車49648と対面です(嬉)!

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屋根が無いのにも関わらず、大切に手入れされていることが伝わってきます。

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立派な解説も添えられています。周囲では家族連れが何組か遊んでいて賑やかでした。良い環境ですね。

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この機関車に会えば、同じキューロクの39679や79602そしてD51241などの仲間たちにも縁がつく様に感じました。

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日本で最後の蒸機牽引の旅客列車(C57135)と貨物列車(D51241)が走り終えた後、追分駅構内で貨車の入れ替えに従事していた3輛の9600。当初この49648号機は廃車解体の対象でした。しかし追分機関区の木造の扇形庫の火災によって保存予定の機関車が焼けてしまったため、今ここに姿をとどめているのです。

昭和51年3月、追分駅構内で催されたお別れセレモニーは39679と79602の2輛で行われ、本機は有火であったものの庫内待機でした。新製以来北海道で活躍した本機であるのにセレモニーに参加はできませんでしたが(悲)、名寄の所属で天北線もよく走ったこのカマがこの地に保存されたということは運命のいたずらを越えた必然を感じます。この機関車に会えば、国鉄蒸気機関車最後のその時に見えなかったものを取り戻せる様に思えて、今回の稚内行きを決心したのでした。

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キューロク型は保存機の9633(京都)と9608(青梅)の2輛しか見たことがありませんが、本機をよく見ると足回りがとても力強いのが伝わってきます。大正生まれの機関車が日本で最後まで残ったのも、力強くて扱い易いからなのでしょう。機関車の周りを巡っていると性格の良さみたいなものが伝わってきます。

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テンダーの梁にはバッファーの取り付け跡の丸穴がありました。

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彼が生きていた頃の私はCとかDがつくカマの方が好きで、9600や8620は見向きもしませんでした。なんと勿体無い、というか失礼な(反省)。

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キャブは機関士席と助手席の椅子は撤去れれていましたが、他は計器類含め、良い状態を保っていると思います。

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技術的に復活させることは夢ではないことでしょうけれども、このまま静かに置いて欲しいのかもしれません。

でも九州が8620だったから北海道の9600もまた良いかもですね!

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どうかこの機関車が末長く大切にされます様に(祈)。

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次回は稚内の副港市場・樺太記念館内の「旧稚内港駅」。そして旅行記と続きます。

あと2回です。

最後までご覧くださいまして、ありがとうございます。