再びこの記事(リンク変更)

 

 

この記事の著書の一つに「精神医療ダークサイド」という本がある.そのタイトルからして,このような本は,ワクチン激推しVS反ワクチンの構図が思い起こされる.つまり,「精神医療ダークサイド」は,現代精神医療を否定する人たちによる典型的な本で,精神医療の科学的効果云々というよりも,精神医療を批判することが第一の目的の本である,という印象を受けるのである.

 

もし私が,精神医療に全くかかわったことがなかったら,「精神医療ダークサイド」をそのような感想だけで読み終わっていただろう.もっと科学が進歩すれば精神医学もまっとうな医療をもたらすのではないか,と考えていたかもしれない.実際,現代精神医療を推し進める医師の本では,医師は,「精神医療ダークサイド」で指摘される精神医療の問題点を認めつつも,何とかすればまっとうな医療になるにちがいない,そういう願望を読み取ることができる.

 

しかし,実際に心療内科医による診療を経験した私自身の「精神医療ダークサイド」の感想は次のようなものである.

 

「現実の精神医療は,長期診療になればなるほど,精神医療ダークサイドに書かれているとおりである」

 

私自身の経験は,25年余りに亘って次のような診断変遷を経た.

 

「自律神経失調症,軽症うつ病→双極Ⅱ型障害」

 

主治医は心療内科医であったからこの程度の診断で済んだのかもしれない.精神科医だったら,統合失調症とかもう少し診断名がついたかもしれない.私がこの程度の診断で済んだのは,私の症状に社会的支障が0だったからだろう.

 

いずれししろ,この状況の次のような結論に収束する.

 

「心療内科や精神科が,普通の人たちを病気に仕立てて長期薬物連用の対象にして,診療費を稼ぎまくっていた」

 

※実は,「診療費を稼ぐ」最も最適な状況というのは,まちがいなく急性期ではなく,慢性期である.急性期というのは医師もいろいろと薬剤を試したりするから,それは正当な医療行為だろう.そして,いろいろと試すうちに,私のような患者にそのでたらめさを気が付かれ,治療をやめた瞬間によくなり始め,治療をやめないでいると一向によくならず,医師の方が「自分が治療をするから悪化するのではないか」ということを思い始めるのである.そしてそれは正しい.すると,訴訟リスクなどストレスを抱えるのだと思う.ところが,慢性期になると,本当は治療をやめていいのに,やめるべきなのにやめずに漫然と薬物連用をさせるのである.これが成功すれば,期間が非常に長く,まさしくサブスクリプション状態になる.これが一番楽に儲かる手法である.私の場合は,25年の診療期間,処方薬不変,通院頻度ほぼ一定のいわゆる漫然診療が18年以上もある.

 

現代精神医療がまっとうな医療になる見込みは,他のどの分野の医療よりもその確率が低いだろうという.まっとうな医療を目指すよりも,薬物を全く使用しない安全な宗教のようなものに鞍替えした方が案外成功するのではないか.それほど,診断や診療は杜撰なのである.

 

「精神医療ダークサイド」に書かれている精神医療の実態は,ほとんど正しいのである.

 

実態を知らない人には「それはいいすぎだろう」「売るために誇張している」と感じる部分も,私が現実に接した医療や医療界に人々をかなり正確に捉えている.というより,私自身は,「ダークサイド(暗黒面)」というより「ブラックボディ(黒体)」と表現した方がよいと思うほど,精神医療に光の部分がない.

 

私は,自分の主治医Yの診療が,かなり特殊だったのかもしれないと非常に運が悪かったと考えていたこともあった.しかし,改めてこの記事を読むと,Yはむしろ当時の精神医療界に忠実だったように感じるところが多々存在する.つまり,Yのような医師があふれかえっていたわけで,私のような被害者が莫大にいると感じた.

 

医師Yは,診療時にときどき私の精神疾患に関する質問に答えた.

 

境界性人格障害:リストカットがすごい

 

私の周辺に,境界性人格障害ではないかと思われる子がいて,自殺など自分を気傷つける心配はないが,どうも境界性人格障害の特徴があると話したところ,Yは「境界性人格障害ではない」という.なぜかというと,境界性人格障害の特徴はリストカットしかないと言わんばかりだった.行動や性格の特徴など詳しい議論すらする気がない.

 

またあるとき,Yに,解離性障害の疑いがある子の話をすると,今度は私が「この子はウソを平気で突くのだ」というと「解離の人にそれを攻めてはいけない」と今度は私のこの一言を全部鵜呑みにする.

 

この記事のいうとおり,診断がすべて表面的なのである.

 

とにかく,たくさんの患者を抱えたいがために,一人一人の特徴を表面的にしかとらえない.医師にはそれなりの専門性があるのだろうというのは全くのでたらめで,私のような素人の診断と全く変わらない.それくらい杜撰なのである.

 

このブログでも以前指摘したが,Y医師は旧帝国大学出身なのであるが,それでも私のような少し理系に詳しい人物に見透かされるような診断しかしない.それほど実用的に浅はかな学問なのである.理論としても未熟で,実用にも全く役に立たない.精神医学や心身医学が公的保険医療に見合うだけのものを生み出しているとは到底思えない.

 

このように表面的な診断で,さらに何の科学的根拠もない薬剤を,しかも副作用リスクも全く考えずに,報酬に見合うだけの処方をする.患者はむしろ診療を受けることで煽られ病気と思い込み,医師は薬物作用を病気の症状として治療が長く続き,患者は長期に診療費を払い続けることになる.それは意図するしないに関わらず,事実としてマッチポンプなのである.

 

精神医療は,製薬会社の開発・生産・販売能力を背景とする利権として成立しているのだろう.

 

衛生技術なら,その実用性は完全に証明され,現実に役立つことが示され,これなしには人類社会は成り立たない.ところが,精神医療に関する技術は,そのほとんどが廃れても人類社会は成り立つだろうし,むしろもっとよくなるかもしれない.

 

双極Ⅱ型障害の経緯をみてみると,このことがよくわかる.そう診断された私が,その治療によってどれほどの有害さを被ったかを考えれば,いくらでも証拠はある.こんなでたらめな診断や診療が現実に存在することが,人生最大の驚きであるとしか言いようがない.しかもそのことは,Y医師自身が身をもって示しているのである.

 

自分がやっていることがでたらめ,有害であることを認識しつつ,それを分かっていながら何年も何食わぬ顔で続ける,ときどき,薬剤をすり替える,こんな人物に医師免許を与えておいてよいのだろうか.

 

だから,この記事の医師のようにこの状況に気がつけば,精神医療のほとんどの病気は虚像であり,それを治すのは簡単である.「治す」といってももともと病気ではないのだから,医療介入さえやめれば落ち着く.つまり,減薬すれば自然に「治った」となるのである.

 

医療界のこのような実情を知らない人は,医師はそれなりの勉強をして,薬を処方するのだから,診断に医学的根拠や薬に効能があるのだろうと思っているかもしれない.これが全くの虚像なのである.

 

私は断言できる.今の精神医療の薬を全く使用せず,あるいは偽薬だけで,精神医療は劇的に改善させることができる可能性がある.ビッグファーマは嫌がるだろうが,そういう方向に転換できれば,本当の意味で精神医療も成り立つかもしれない.

 

さあ,転換できるだろうか.ここまで,このようなビジネスで成り立っているのだから,皆を騙し続けるしかないのだろう.私は,少し言い方を変えてこれと同じようなことをY医師に言い放ったことがある.すると,Y医師はどういう反応をしたか.

 

・あらんばかりの声を上げて,「●×?%&」と叫ぶ.つまり,何を言っているか分からない.

・(痛いことをそう何度も言ってくれるな)という顔をして「あのときはそうおもいましたーっ」と悪ガキのように言い訳をする.

・(ベンゾジアゼピンの長期連用による身体依存はない)「○○大学の○○先生がおっしゃる.私はそれを信じる」

 

こういうことを,看護師のいる診察室の中で患者の前で大声で言うのである.正直,こいつ(Y医師)は相当に悪質な人間であると直感した.処方薬をこっそりすり替えたことがばれたときも同じように感じたが,このときは私の肝っ玉がまだ小さかった.今となっては,Y医師に面と向かって悪口雑言罵詈雑言をいくらでも放つことができた.Y医師は相当の悪だから全く罪悪感がない.

 

当然Y医師は,患者として忠実に自分の指示にしたがってきた私から,このような見下した態度をとられることに怒り狂った.しかし,私は冷静にY医師の悪ぶりを平気で話し続ける.Y医師は,多くの患者を金づるとして見下していたはずだから,そのうちの一人から悪者扱いされることに我慢がならないようだ.それでも私は平然と話し続ける.

 

非常に悪質な詐欺診療を長く続けたY医師にも,なにがしかのプライドがあったようである.いや,プライドがあったからこそ続けることができたのかもしれない.その断末魔はあわれとしか言いようがない.


 

Y医師は,私が「説明義務違反」の証拠を持っていることを知らない.私の追及はY医師が生きている限り続くだろう.