このブログで、過重労働のメンタルヘルス面接報告をするつもりだったが、少し状況が変わってきた。

 

というのも、上司からの面接日程の連絡が来ないからだ。おそらく、このままうやむやにしてしまうつもりだろう。

 

なぜそうするのか、私は事情説明を求めていない。なんとなく察しがつくからだ。

 

私が精神医療に批判的にかかわらず、面接を受けようとしているのがトラブルのもとになると考えている。

 

よく考えると、25年あまり診察を続けた私の主治医が、最後の診察を拒否したり、主治医が勤める病院がカルテ開示を無視している状況を考えると、精神医療側が、精神医療に不信感を持った人を如何に苦手にしているのかが良くわかる。しかも、私は主治医の医療法違反の事実の証拠をもっており、その行為によって自動車事故という実害を被っているので、いかにも分が悪いのだ。

 

私の主治医が自分の診断に自信がなくなっているにもかかわらず、何年も私に通院させ、服薬をさせていることが、かなり自責の念を募らせたようである。

 

・「早く自分から通院をやめてくれないかなあ・・・」という表情をする

・クリニック閉院の案内を渡す手がふるえる

・薬物連用の副作用が確定し始めると、別の原因を探るようにあれこれ指示をする

・処方薬を患者自身に選ばせるようになる

・(診断が確定できないという)セカンドオピニオン後、私が主治医の意見を訊きに診察を申し込むと拒否する

・診察室に入り込んだ私を直視できない。

 

これはすべて本当の話である。自分の診療こそが「病気」の原因であることを自覚した医者ほど情けない存在は他にないだろう。

 

こういう事情があるのに、精神医療はかなり広がっている。なぜこんなシステムがこのまま続くのだろう。

 

人には、精神的な弱さを知られたくないという性質がある。仕事や学校を休む時に、配慮してもらっているということに何かしら後ろめたさを感じるものだ。日本人はとくにそうだろう。

 

そういう弱みに付け込み、診療報酬を得ようとしている医師の割合が想像以上に多いのが事実である。職場や学校の保健室を利用して、「メンタルヘルス事業」と称して患者発掘を行っていることを恥ずかしいと思わないのだろうか。

 

精神医療の基盤となるべき、精神医学は停滞している。昔からそうだ。躁うつ病、双極性障害、双極症など名称を変えて、いかにも研究をしっかりすることをアピールしようとしても、素人に論破されるような医学は学問とは言えない。そんな脆弱な根拠をもとに、何十年も薬物連用を薦める医師は、医師としてはずかしくないのだろうか。

 

精神医療の扱う病気の中には、本当に病気といえるものも存在するだろうが、大半は精神医療側がつくりだしたものであることをどれくらいの医師が気が付いているのだろうか。

 

すべてが悪いとは言わない。精神的な辛さは医療の対象にするべきである。切り捨てるべきは、私の主治医のように、人に寄り添うようなふりをしながら、学問的根拠があるようなふりをしながら、診療報酬を稼ぐことしか頭にない医師である。こういう医師は一定の割合存在するのは仕方ないが、とにかくそのような医師が働きにくくするシステムを作る必要がある。