夫の最期

このブログをはじめから読んでいる方は、夫の最期までの経緯を分かっていると思いますが、そこには書いていないこともあり、これから書いてみようと思う。


朝がた4時、自宅療養中に、頸動脈破裂、大量の出血、ベッドから床まで血の海状態、なかなか来てくれない救急車に苛立ちと、まだ意識のある夫を恐怖感に襲われないように、優しく声をかける、ずっと血液を吸引し続ける。

癌が頸動脈を巻きつけていること、抗がん剤、放射線治療の効果により、癌は破壊される可能性もあるが、それと一緒に頸動脈の血管まで破壊される。

頸動脈破裂となると、さすがにこの大学病院でも手のつくしようがない。

教授からそう言われた。

夫は、それでもいい。

抗がん剤、放射線治療を受けます。

と教授に伝えた。

そして、延命治療はしない。

最期は自宅で死にたい。


多くの癌患者さんを診てきた夫だ。

多くの患者さんの命を救ってきた夫。


私は夫の弱気でない、腹の括った言葉に涙した。


教授のムンテラを終え、病室に帰り、夫は私に、ごめんね‥。という。

自分が一番辛いのに、私の手を握りごめんね、と‥。


話を戻そう。

出血は最初は鼻血だった。

でも血の色を見て私はわかった。

頸動脈破裂。

とうとうきてしまった。

気管切開部分からも血液が流れてきた。


夫が、救急車を読んでと、口パクで私に言った。 

私は、夫は自宅で死にたい。

そう言ってたから、まさか救急車を呼べ。なんて言わないと思っていた。

夫は、生きたいんだ。

夫の気持ちが伝わった。


長女がなかなか来てくれない救急車に何度も電話をかける。

二女、三女は、私の指示に従い、タオルや夫への呼びかけ、吸引も手伝ってくれた。

まだ小学生の末っ子は怯えてトイレにこもっていたようだ。


ここからは、過去のブログに書いているので省略します。


夫の最期

大学病院

奇跡だった、大学病院の高度救命救急センターでの止血と意識回復にまでもってきた医療、医者、看護師の頭脳と腕のレベルの高さ、そして生きたいと強く思っていた夫の頑張り。

手のつくしようがないと言われてたけど、夫は意識が戻り自発呼吸もできた。

次に出血したらそれが最期になることを教授から言われた。

止血から6時間後に、二度目の出血があった。

医師たちが大勢かけより、吸引を始め、夫に声をかける

〇〇先生ー!

そして私たち家族に夫のそばにいて声かけてあげてください。

と。

家族に見守られながら死にたいと、夫は医師たちに伝えていた。

医師たちはその通りにしてくれた。

身体の中にはもう血液はない。

モニターだけつけて医師たち、看護師たちは夫から離れ、家族に囲まれて10分ほど時を過ごした。

私はずっと耳元で話し続けた。

子供たちは泣きながら夫の手を握り、足を擦り続けていた。

心拍数が落ちていく‥。

私はモニターを見ながら、言い残すことのないようにたくさんのことを夫に伝えた。

最後の最後まで夫の意識はあることはわかった。私の話すことに反応してくれたからだ。

夫の目を閉じたまま両目から、血液が流れた。涙である。

そして、夫は息絶えた。


血の涙の跡は、ずっと消えなかった。


今日は夫の月命日‥。




今日も読んでくださってありがとうございました。




 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



 

 



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