通夜の日は密葬とのことだったが医師会長、事務長、各子供たちの担任なども挨拶にきてくれた。

医師会では、各開業医や病院等に、夫が亡くなったことを知らせる文章を書いてFAXで送るとのことで、その文面の話もあった。

夫の大切にしていた言葉を書き入れてもらった。

「ぬちどぅ宝」沖縄の言葉で、「命は宝」という。

とても深い言葉だ‥。


そして翌日、火葬の日がやってきた。

夫の眠る棺の中にはお花で囲み、家族写真を胸に置き、子供たちは、それぞれ父親への手紙を添えた。

夫の溺愛していた愛犬を抱っこして夫の顔元に近づけると、愛犬は、夫の顔をペロッと舐めた。最後の挨拶のように‥。


そして、私の兄が、焼酎を夫の口元に少しふくませた。

その焼酎は、夫が兄に贈った物で、来年一緒に飲もうと約束していたのだった。

兄も泣き、身内も泣き出す。

私は泣かなかった。

涙も出なかった。

昨夜の通夜もこの日も涙は出なかった。


火葬場で炎の中に棺が入って行くとき、私には夫が手を振る姿が見えた。

幻覚なんだろうけど。

そのときに思わず

「お父さん!」

と叫んだ。


ドアが閉まり火葬が始まった‥。


参列者とともに火葬の間、食事をするように姉が手配してくれていたが、長女がショックのあまり、泣き崩れて立ち上がれなくなっていた。

そのこともあり、私と子供たち4人と、S先生が付き添ってくれて火葬場の待合室で時間を過ごした。

S先生は、子供たち一人一人とじっくり話をしてくれていた。

そのうち末っ子は寝てしまっていた。

夫が自宅で出血してから、子供たちもまともに寝ていないのだ。

S先生のおかげで、やんわりした雰囲気で火葬が終わるのを待てた。


そして、火葬が終わり、身内たちも戻ってきており、私だけ職員に呼ばれ、火葬された夫と対面した。

私は歯を食いしばった。

悔しい!

助けてあげれなかったことに。

もっと生きていさたかったことに。


そして、子供たち、身内の待つ場所へと夫と共に歩いて行った。

室内は静まりかえっていた。

その中で子供たちが小さな声で

「お父さん‥」

と言って悲しんでいる。

S先生がしっかり子供たちを支えている様子が伺われた。


骨壷にひとつひとつ大事にお骨を入れた。


こんなこと、したくなかった。

悔しさ、悲しさ、無念さが入り混じっていた。


温かい骨壷を抱いて帰宅した。

私は遺影と骨壷を暫く眺めていた。

夫と会話をしているようだった。


身内たちは、食事やお酒を飲み始め、夫の生前の話をしていたり、お酒に酔って、次々と夫の遺影に話しかけたりしていた。


S先生は、明日の診療があるため、新幹線で帰ることに。

最寄り駅まで私がS先生を送った。

S先生のおかげで、この2日間、私も子供たちもなんとか乗越えることができた。

とても感謝している。


今日も、読んでくださってありがとうございます。



 

 



 

 



 

 



 

 


 

 



 

 



 

 


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