私たち家族は懐かしのA島、私の故郷での生活に戻った。

しかし、夫の務める病院は、A島の南の孤島K島である。

 

実家から車で1時間半ほどの距離のある街中に住居を案内され、そこで暮らすことになった。

夫の通勤はフェリーや海上タクシーであった。

 

私は3人目の子供がお腹にいた。

周りの人たち、親、親戚中は今度こそ男の子(あととり)を産まないとね!

よくそう言われてきたが、夫も私も性別関係なく、元気に生まれてほしいと思っていた。

 

我が家は、子供ができると、夫が先ずエコーで診た。

3人目も同じだ。

成長するのもエコーで見て、夫は生まれてくるのを楽しみにしていた。

 

いよいよ臨月に入るも、私は普段と同じ生活をしていた。

「まぁ、陣痛来たら夫に託そう」そういう気持ちもあったが、夫は笑いながら「勘弁してくれ」と。

 

臨月に入り予定日も迫ってきたので私は子供たちを連れて、里帰りをした。

実家でも私は夫と毎日電話で会話をしていた。

 

ある日、子供たちと散歩中に少し出血(おしるし)があった。

陣痛はまだ来ない。

3人目ともいえど、不安は結構あった。

母親は「まだまだだから病院に今行くことない」と。

私の母親は4人子供を産んで育てた達人(私が勝手にそう思っていただけ)だ。

母親の言うように、まだ病院には行かなかった。

 

そして、その夜、本格的な陣痛がきた。

母親は落ち着いているが、父親はあたふたしていた。

 

父親の運転する車に乗って産婦人科(2人目と同じ医院)へ。

「まだ微弱陣痛だからあわてないで運転して」と父親に言った。

夫はもう一人の医師に夜勤勤務をお願いし、出産に立ち会うことにしたそうだ。

 

夫とほぼ同時に産婦人科へ到着合流した。

 

父母は夫がきて安心したのと、2人の子供もいることからか、母親は陣痛室、子供たちと父親は車の中で寝ていた。

呑気な親たちだけど笑えてきた。

 

そして私はなぜか、微弱陣痛の中、分娩台に乗り、出産することになった。

いきんでもいきんでもまだ赤ちゃんは下りてこない。

「まだ産むタイミングではないでしょう」と心の中でそう思っていた。

しかし、その先生はまだ下りてきてこない赤ちゃんを手で引っ張りだしたのだ。

赤ちゃんは無事生まれた!

女の子だった。

 

出産後、後陣痛に苦しみ、出血も大量に・・・。

 

夫は何か産婦人科医にたいして怒っていた。

無理やり引き出して、最悪は子宮が破裂するんだぞ!

など、言っていた。

が、我が子を見て幸せそうな笑顔に戻っていた。

 

 

続く・・・
 
 
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