こんどは留置所からの被疑者逃走事件。
以前ブログに受刑者脱走の記事を書いたが、
こちらとlはちょいど事情が異なる。
なぜ逃げるのか?
おそらく、
心情が不安定でそこに居たくなかったから。
代用監獄といわれる留置所。拘置所よりも、皆さん逮捕直後で不安定。
日本には、世界に類を見ない「代用監獄」という仕組みがある。
えん罪の温床になっているとして、廃止を求める声があり、
国際人権(自由権)規約委員会も、2度にわたって廃止勧告を行っている
法律上は、警察に逮捕された被疑者は、3日以内に裁判官が勾留(こうりゅう)を決定すると、
法務省が管理する拘置所に移されることになっています。
そこで最大10日間(更に10日間、特殊な犯罪の場合には15日間延長が可能)拘禁されます。
しかし、実際には監獄法が「警察官署に附属する留置場は之(これ)を監獄に代用することを得」と定めているため、
監獄法が廃止された現在の行刑法においてもなお、代用監獄問題は解決されていません。
被疑者は警察の留置所に入れられたままになります。これが「代用監獄」制度です。
手元に、折山敏夫さんの事件の再審請求事件の資料の
違法な取り調べがあった記録を見て、一節を書き出したくなった。
この日記は逮捕から約200日経っていた。
拘置所の日記だが、警視庁の留置場にいたときのことを記してある。
「今の自分にとっては、悲しくて一人でメソメソしている以外にはないのだが、
こんなときフッと警視庁取調室を思い出した。自分にとっては恐怖に満ちていたはずなのに、
それと同時に人懐かしさが蘇る。
あの怖いデカさん達が、自分の悲しみについても一緒に泣いてくれたり、
一緒に喜んでくれていた。
90日間の地獄の中でも、人間として外部と接触する唯一の窓口の役目を果たしてくれれていた。
ここにはそれすら無い。
今の自分にとっての窓口は時々の弁護士先生とRADIOの一方通行の情報だけだ。
↑ビフォーアフター折山さん。
折山さんの事件は、捜査機関の職員の「折山が自白した。」という伝聞証拠が採用された。
刑事訴訟法の条文としても、憲法違反(デュー・プロセスの保証がないの)ではと思ってしまう。
その、「折山が自白した。」という伝聞が作られた留置所。
芥川龍之介の杜子春のように、
自白を取るために、刑事はあらゆる策を使う。
杜子春は、
「仙人になるにはずっと口を利いてはいけない。」
という約束を守ろうとしたが、
自分の両親が拷問にかけられそうになるのを見て、
耐えきれなくなって口を開いた。
杜子春は仙人にはなれなかったが、人の優しさを持ち続けた。
という落ち。
(うろ覚えだから違ってたらごめんなさい)
厳しい刑事と優しい刑事の「北風と太陽」という段階ならまだぬるい。
そのうち、[お前の友達家族がお前が自白するように言ってたぞ。」
とか、(作り話)
「お前が自白しないから、お前の友達、どんどん逮捕されていくぞ。」
とか。(実際、その予告どおり折山さんの知人は逮捕された。)
あらゆる精神攻撃を仕掛けてくる。
そして、日記にあるこの記述。
あの怖いデカさん達が、自分の悲しみについても一緒に泣いてくれたり、
一緒に喜んでくれていた。
90日間の地獄の中でも、人間として外部と接触する唯一の窓口の役目を果たしてくれれていた。
これはもう、ストックホルム症候群では?と思ってしまった。
ストックホルム症候群とは、
1973年8月、ストックホルムにおいて発生した銀行強盗人質立てこもり事件(ノルマルム広場強盗事件)において、
人質解放後の捜査で、犯人が寝ている間に人質が警察に銃を向けるなど、
人質が犯人に協力して警察に敵対する行動を取っていたことが判明した。
また、解放後も人質が犯人をかばい警察に非協力的な証言を行ったことなどから名付けられた。
狭い密室社会では、生存本能として相手に同調することで精神の均衡を保とうとする。
狭山事件の石川一雄さんの取り調べ状況の再現映像でも、
刑事に対して懐柔させられ、
やってもいない自白をするまでのプロセスがわかる。
これがその時の舞台セット。
話を戻し、
逮捕直後の取調室の状況というのは、
刑事があらゆる精神攻撃を仕掛けてくる場。
脱走したくもなるのは充分わかる。
アクリル板を外したそうだが、
自由を求めてのアクティブな行為に畏敬を覚える。
(脱走を推奨しているわけではない)
自分は、昔、刑務所の独房のガラスを割ったことしか経験がない。
(ボケオチ)

