僕らの意識についてのイメージ | 体外離脱サラリーマン・とみなが夢駆のヘミシンク体験日記

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ヘミシンク愛好家のサラリーマンのヘミシンク体外離脱体験記。酒と阪神とヘミシンクをこよなく愛するアラフォー会社員がヘミシンクで知覚した出来事を楽しく綴る脱力系精神世界体験ブログ。著書『体外離脱するサラリーン』(ハート出版)全国の書店で大好評発売中!

さて、この宇宙とは、そして一体、僕らの意識とは、どういうものなのか?
僕が、ヘミシンクを聞くようになってから、なんとか、
その全体像を、わかりやすく例えられないか…とずっと考えてきたのですがね、
なるべくわかりやすい例えで、ちょっと説明してみたいと思います。

まず、大きな森をイメージしてみてください。
この森が、全宇宙だとしましょう。

でね、その森の一角に「銀河系」と僕らが呼んでるところがあり、
そのまたさらに一角に、地球という一角があってね、
いろんな草木が生えてるように、爬虫類だったり、魚類だったり、菌類だったり、と
多種多様の植物が生えている。
これは、あくまで「意識」の話です。

でね、そのなかに「人間」っていう、一本の木が生えてます。

で、僕らの意識っていうのは、その「人間」っていう木の、一枚の木の葉です。

普段僕らは、自分は「一枚の木の葉」として、独立した存在だと思っているし、
他人のことも、また別の「一枚の木の葉」としか思ってないわけです。

で、本当は、枝や幹に、そして大地につながっているんだけど、
自分の木の葉としての人生を生きるのに精一杯でね…。

日当たりが悪い日もあるし、強風が吹くときもあるし、
悪い病気にかかって、葉の一部が茶色く枯れ始めたりね、
もう自分の「木の葉」のことに注意を向けるのに精一杯で、
自分が、実は枝につながっているだなんて、夢にも思っていないわけです。

で、一枚の木の葉が、新芽として芽吹くと、それが誕生であり、
その木の葉が散ってしまうと、それを「死」だと思っているわけです…。

でもね、

木からしてみたら、僕らは木の葉の一枚でしかないわけです。

で、一枚の木の葉が枯れたとしても、
その木の葉は、やがて土に戻り、養分となって、
また新しい木の葉が生まれる原動力となるわけです。

でね、現世ってのは、今、まさに木の葉として生活してるときの意識であり、

過去世ってのは、以前、
過去に、別の枝に木の葉として生えてたときの記憶なわけです。

でもね、木の視点で見れば、
同じ木から生えた、一枚の葉であることには変わりないわけで、

そういう意味では、僕らひとりひとりは、
大切な存在ともいえるし、
たくさんあるうちの、一枚でしかない…ともいえるわけですね。

普段僕らは、一枚の木の葉として、自立し、完結した存在だと勘違いしてるんですが、

ちゃんと、僕らの意識は、みんな
「人間の意識」っていう、一本の木の、
枝につながり、その枝は幹につながり、幹は、
根っこによって、この「宇宙」という森の大地にしっかりとつながっています。

僕がヘミシンクを使って、皆さんのガイドさんとコンタクトを取ったり、
前世を見る作業ってのは、

まさに、意識を深いところに沈めて、

一枚の「木の葉」という、自意識のさらに先にある、

「枝」の部分や「幹」の部分にまで、知覚できる意識を深めていく作業なんですね。

普段僕らは、自分自身を「一枚の木の葉」だとすら思ってない。
みんなバラバラに、独立した「閉鎖系」の存在だと思っている。

でもね、自分の意識を深めていく訓練をすると、
自分がつながっている、枝や、幹の部分も知覚できるようになるし、

だからこそ、人のガイドさんや、前世も見れるわけですね。

なぜなら、幹の部分には、皆さんが、過去世という、どんな「一枚の木の葉」
としての生涯を終えたかが、ちゃんと記憶されているからなんですね。


だから、なんか、僕がやってるようなことは、
世間一般には「霊能力」と言われているわけですが(笑)、

霊能力でも超能力でもなんでもなく、

脳の訓練をすれば、誰でもできるようになることであり、
(もちろん訓練は必要ですよ)
霊能力でも不思議なことでも、なんでもないわけです。

で、ヘミシンクっていうのは、その
意識を「枝」や「幹」のところにまでつなげる訓練ができるツールとして、
大変よくできたトレーニングのためのプログラムなんですね。