シェーグレン症候群 | だるまちゃん 再生不良性貧血 完治の軌跡

だるまちゃん 再生不良性貧血 完治の軌跡

だるま

みたいに

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真っ直ぐ立ち上がる為の

まったりマイペースブログです

これまで、どこを患うのも嫌でしたが、

目を患うのも、不自由でどうすることも出来ず、

本当に困りました。

 

目が見えないことには、何も出来ないからです。


 

これまでの目の痛さとは比べられない、

【痛い】 という言葉では到底言い足りない痛みが、

ドライアイ診断から10年後に起こりました。


 

目が、カラッカラで、何の水分も

出てきていないのが分かりました。


 

目を開けること自体が出来ませんでしたが、

目を開けて、瞼を閉じる。という簡単なことが地獄でした。

瞬きをすればするほど、目に傷がいくのです。

例えるなら、砂と小石が混ざった泥が、車のフロントガラス

に着いていて、それをワイパーではらうと、ガガガガッと

ガラスに傷が行く感じです。


 

これまでは、

目を閉じていれば痛みはマシでしたが、

この時は、目を閉じていても目から火を噴いているような、

熱い、痛い、地獄の症状が続きました。


 

何日か寝て、目を休めていれば、

少しましになるかも?と

目と身体を休めていましたが、

 

今回ばかりは、いつもとは全く違いました。


 

トイレに行くのも、一苦労でした。

 

身体も重く調子が悪いので、

目を閉じて歩くと頭が廻る感じがして怖いので、

壁づたいに地面をおしりで、すって行っていました。


 

運転も勿論のこと出来ないので、

主人に眼科へ連れて行ってもらいました。

ここまで酷いと

「シェーグレン症候群だと思います」と言われました。

 

これまで、拒否をしていましたが、

涙点プラグ手術 をお願いしました。


 

その眼科は、水曜日が手術日として設けられていたので、

「先生、今週の水曜日に出来ますか?」と尋ねたら、

 

「今から行ないます」と言われました。


 

一瞬だけ、

”えっ 心の準備出来てない”と、思いましたが、

そんなことを言っている状況でも無かったので、

心を切り替えました。


 

どこに、麻酔をするのかな?瞼の上?下?

何本打つのかな?”

ど、ドキドキしていました。

 

片方の目に何かを差し込こんで入れた感じがあり、

もう片方にも何かを差し込んで入れたな。

何かの前処置かな?”と思っていたら、


 

「はい、終わりました。」 と、言われました。


 

「えっ!もう終わりですか?

(こんなに簡単で、何にも痛くない)

これがプラグ手術ですか?」と、思わず聞きました。


 

これは、一応手術扱いになるらしく、

【涙点プラグ手術】 と言うのだそうです。

手術という言葉で、拒否を続けていましたが、

こんな簡単なことなら、もっと早くしておけば良かった”

と心から、

心底思いました。


 

これは、

涙が流れていく場所に、プラグ(栓のようなもの)を

入れて、

水分が流れて行かないようにして、目に潤いを与える。

というものでした。


 

確かに、入れた瞬間から、

何となく目に潤いを感じて、少し楽になりました。


 

プラグを入れているだけなので、

目をこすり過ぎたりすると外れてしまうので

注意をするように。と言われました。


 

根本的に治すものではありませんが

少しでも目が開けられるようになり、

本当に嬉しかったです。


 

 


 

病院へ行きました。

シェーグレン症候群の指標となる、

SS-A Ro抗体が陽性。抗SS-B La抗体は陰性でした。

身体のだるさと、目の乾きは酷いものでしたが、

口内の唾液分泌については、まだましな方でした。

 

その時点で、目の乾きについては

プラグを入れて処置をしていたことから、

 

「今の段階では、これ以上やる治療法はありません。

後に、腎臓と心臓に問題が出てくるかもしれないので、

その時に治療を行います」と言われました。


 

こんなに身体が重くダルイのに、

何もする術ないと言われたこと。

そして、

いつか腎臓と心臓に問題が出てくる?と、

先に宣告を受けたような恐怖で、

 

当時41歳の私は、

またまた暗闇に放り込まれてしまいました。

                            (つづく)