Ermel TufiñoによるPixabayからの画像

 

突然ですが、わたくしは常々、制限思考であることだけは避けたいと思っていて。
だって、明日、どんな出逢いがあるかわからないし、どんな奇跡が起こるかなんて、ほんと、誰にもわからないんですよ。
ですから、常々、目の前の、今の状況だけで、将来を限定してしまうのは非常に勿体ない、そう思っております。

わたくしは幼い頃から自分なりにキリスト教のお勉強を積んでまいりました。
詳しく申し上げるなら、宗教の学びはそれだけではなかったけれど、結局、今も、宗教として、自分の中に強く息づいているのは、アメリカのプロテスタントの教えです。
それも、ニューソートと呼ばれる一派で。
それは、神は豊かにお与えくださる、神はわたくし達を愛していてくださる、といった、言わば、神の福音に大きく焦点を当てたもの。
なので、あまり人間の罪がどうのこうの……だとか、悔い改めよ、といった感じの御教えではございません。

ーーで、わたくしはその流れを汲むキリスト教のお勉強を20代の頃から始めていて、本格的に再開したのが2010年の1月から、なのですね。
それからの学びは、もう14年半にもなります。

そういったこともあり、神は全ての源であり、神は必要なものを必要なときに必要なだけお与えくださる、とか、何事も神に祈りなさい、そうすれば、よくしてくださる、といった御教えがいつも心の中に強くございます。
なので、冒頭で申し上げましたように、今、目の前にある現実だけで、未来を限定してしまうのは非常に勿体ない、そう考えるのですね。
 

そこで思い出すのが聖書の有名な御言葉のひとつ、「求めよ、然(さ)らば与えられん」です。
これはもともと「神に祈り求めなさい。 そうすれば神は正しい信仰を与えてくださるだろう」という意味だったようですが、

 

 

わたくしがキリスト教のお勉強をさせていただいているレイクウッド・チャーチのジョエル・オースティン牧師様は、人生で必要なものはなんでも神に祈り、求めなさい、といった意味のことをいつもおっしゃっておられます。
そして、ジョエル師のオスティーン一家の皆さまは、その素晴らしい信仰をもって、様々な夢を実現してこられたのですね。
その夢は、全て、神のご栄光をこの地にあらわすためのもの。
わたくしはそう解釈いたしております。

そして、この「求めよ、然(さ)らば与えられん」は何もクリスチャンの方のためだけの言葉ではございません。
神様はどなたをも等しく愛していてくださいますから、別に洗礼を受けていらっしゃらない御方にでも、この御言葉は当てはまるとわたくしは信じます。
(実際、わたくしも洗礼は受けておりませんしね)

「そんなこと言ったって、どうせ叶わないでしょ?」とかおっしゃらないでくださいね💦
中にはそんなふうに思われるかたもいらっしゃるかもしれませんが……。
でも、神様は必ず、等しく、わたくし達皆の祈りに耳を傾けてくださいます。
それがどんな祈りでも、必ず。
 

ただ、その祈りの結果、どのようなお返事を(天が)なさるか、それは天がお決めになられることですので、そこはわたくしにはなんとも申し上げられませんが。
でも、せっかく生まれてきたのですもの、なんでもいつでも神様にお祈り申し上げて、神様との共同作業で、素晴らしい人生を創造してまいりましょう。

そのための御言葉「求めよ、然(さ)らば与えられん」だとわたくしは心から思うのです。

(※勿論、この御言葉以外にも、沢山、素晴らしい御言葉が聖書にはございます!)

どうぞ無限供給の神、天の豊かさに是非手を伸ばしてくださいませね。
God bless you!

 

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最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。

 

● 夢咲璃い(ゆめさき りい) 自らの資質をどこまでも高めることを通じて広く社会に貢献しようと志す女性起業家の為の直観コンサルタント