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フェローマックス

徒然なるまま思った事書いてみたりして

ここ数週間で再び考えていること。
それは彼らの、飽食世代の食生活。ある若者が向こうで言っていた

『お金を払えば提供された食事を捨てても平気。だってお金を払っ
ているんだから、それはもう自分のもの。それをどうしようが自分
の勝手。』
・・・確かに一理ある。
けど、なんか違う。私的には、『食』というのは生き物が生きてい
くために絶対に必要なものであり、趣味、嗜好とは根本的なところ
では異なるものだと思っているから。
もうひとつ実際の話で近所の子の話がある。
その家庭はいわゆる「ネグレクト」。親は子ども(兄弟)に食事を
与えずまったくの放置状態。子どもは毎日お腹をすかせて過ごして
いる。休日になると、兄弟で大人の自転車を引きながらボサボサの
頭と薄汚れた服を着て家へご飯をもらいに来る。当時、うちの父親
が民生委員をやっており、その子らに「お腹がすいたら家へおいで
」と言っていたから。
毎日は小学校の給食でなんと...か生き延びていたが、問題は夏休み。
学校の給食がない、という現実にその子らは毎日食うにも困って街
を徘徊していた。毎日家に来るのも気がひけたのか、しばらく来な
い日があった。
ある日。小学校への通学路の途中にその兄弟がおっきな自転車を横
においてうずくまっていたのを家の父親が発見した。
「どうしたんだ?」
その問いに
「学校に行けばなんかもらえる(食べ物)と思って行こうと思った
んだけど、お腹がすいて動けない」
今の世の、飽食の時代の「生き倒れ」。
続きがある。
その子らの夏休みはこのあとどう過ごしたか?
実は私の職場では夏休みは何十人という子に毎日弁当を提供してい
る。(私は弁当屋ではないが、児童福祉施設の職員)
好き嫌いが激しく、よく残す。平気で「これきらーい、たべれなー
い」の言葉が行き交い、とにかくおかずは好き嫌いなく食べて、残
すならご飯を残してよ。と言っていた。当然のごとくご飯が大量に
残る。しばらくは冷凍保存し、こまめにおやつ時に調理して提供し
ていたがそれでも残る。
その残ったご飯を家へ持ち帰り、その兄弟に与えていた。
その結果、その兄弟は夏休みを何とか乗り切り、新学期を迎えるこ
とができた。
さて、この両極端の実話に何を思うだろうか。
「じゃー、うちは自分の子どもには好きなものだけ食べさせて、食
べられないものはその子どもに与えてよ」と思うのか?
「かわいそうね、うちはそんな家庭じゃないし、自分の子どもには
そんな事させないわ」と思うのか?
どっちにしたってそれって相手を見下した思考じゃないかな、って
思ってしまう。
僕らはもっと「食」に対して真剣に考えなきゃいけないんじゃない
かな、って思う。
かたや「残すことがあたりまえ」。かたや「食べ物がなくて困って
いる」。同世代にこの矛盾。
だから私は「食」をもっと真剣に考えてもらいたいと思い、子ども
たちに訴えている。
「食べ物」を粗末にしたり、「食べ物」で遊ぶ彼らには厳しくなる

でもそんな事実でも飽食人種にとっては「食べられない現実」は対
岸の火事。
あっちはあっち。こっちはこっちなんだろう。
一度思い切りお腹をすかせて動けなくなってみ?
その後の食事はどんな嫌いなものでも「ごちそう」になるから。
「究極の空腹は最高の調味料」だと思うよ。
日本中の勘違いした食材IS無制限無料大放出思考をお持ちの方々

残して捨てた食材でいったいどんだけのお金と世界中の飢えで死ん
でいく子どもたちが助かるんだろうね。
僕たちはそんな子たちに生かされているんだって、いっつもだから
感謝して死んでいく子たちに変わってそんな世の中にしちゃだめだ
って考えながら食べようって、そんなことも考えてほしいと思いま
す。
いつのまにやら「食」というものが「生きるため」から「趣味・嗜
好」に変わってしまった悲しき一部の地球人に告ぐ。
おいしいものはおいしく食べりゃいい。そうじゃないものにしたっ
て、考えながら食べてほしい。