「あなたは今、幸せですか?」の問いに何人が「ハイ」ってこたえるのかなぁ。
総合してみたときに人間ってやつぁ常に「欲望」を持って生きてるわけで、一つの欲望がかなうと次の欲望が出てくる。常に次々の欲望がわき水のように出てきちゃってそりゃもう大変。
いやね、目標を持つ事は生きる糧で絶対いい事だとは思う。特に歳とると頭ん中の海馬体が勝手にこれから生きてくための情報を過去の記憶から取捨選択して、必要なものしかそこの引き出しから取り出さないもんだから言われた事や起った出来事を勝手にデリートしていく。
「物忘れ」がひどくなるってのはそういうことなんだけど、でもね、なんらか目的持って刺激をうけて、目を輝かせて生きてけばそんなことはない。
歳とった役者さんなんか「歳」だからって理由でセリフ忘れる?こりゃ否。
あの人若いなぁって思ってたギラギラした政治家が引退後ちょっとした期間で急に老けこんじゃうのもそう。
でも、どうなんだろ。欲望って目標ってもんと近いもんがあんのかなぁ。
欲望っていうとなんか「悪」みたいなニュアンスがあって、目標っていうと「正」みたいな感があんだよな。
きっと欲望ってのは本来人間が持つ自然にわき起こるちょっとグレーっぽいもんで、目標ってのは僕たちを今のレベルから次のレベルへ高めるために掲げる至高の課題。
どっちにしたって叶う事は「幸せ」に直結すんのかな。
でもね、今までの経験と、頭ん中にあるいろんな引き出しさばくって考えてみたところ、
実はさ、欲望ってさそれ叶った時ってのも、そん時の「一瞬の快楽」でしかないんじゃないかな、って思っちゃう。
逆に「目標」ってもんはこれから自分が生きてく上でのステータスの向上で、それって、経験値上げて新しい敵に立ち向かうロールプレイングゲームのようにすぐには消えないものだったりする。
さて、人間。おおよその「悟り」を開いていない人間はこの「欲望」と「目標」のバランスを時には崩したりして、後悔して生きているわけですが、「幸せ」の落とし所は一体どこなんだろう。
後悔したってみんな同じ時は流れてる。その時間ゲームの中で様々な夢が叶い、敗れ、喜び、悲しみ、欲望が渦巻いて今日も空をどんよりさせている。
僕たちはだいたいでおおざっぱな「幸せ」を噛みしめていると思ってる。
この国にこの時代に生まれたからっていうタイミングももちろんあると思うし、そして、何億年っていう歳月に奇跡の出会いをした隣人にだって愛すべき人にだって、それがもう「幸せ」って思えるような聖者になれればたぶん戦争はなくなる。
だから、特に地位や名声がなくったってそこにちっちゃな「家族」があって、ご飯食べながら最近の話をしたりしてさ、何気ないその空気感ってのが実は自分の心にとっての一番の癒しの時だったり、そんな他愛のない日常の中で表を走る車の音と、近くの草むらで鳴く鈴虫の羽音聞いて「陽がだいぶ短くなったなぁ」ってほんのり季節感を味わいなが窓を開けてちょっぴり涼しくなった夏の終わりの風を感じてんのが実は一番の「幸せ」って思えないかなぁ。
そう思えたらいいなぁ。
