失敗からは多くのことを学ぶことができます。

 

ゆえに、太平洋戦争における日本軍の失敗要因を徹底分析した『失敗の本質:日本軍の組織論的研究』が、いまだにベスト・セラーになっているんだと思います。

 

まさかシリーズ化するとは思ってもいなかった日本大学アメリカンフットボール部重大犯則事件。

 

過去3回の投稿と同様、私自身はアメリカンフットボールは門外漢だし、事の是非を論じる立場にはないという立場は変わりありません。

(第1回:https://ameblo.jp/felix-epyon/entry-12376724355.html 

 第2回:https://ameblo.jp/felix-epyon/entry-12377266889.html 

 第3回:https://ameblo.jp/felix-epyon/entry-12378266266.html

 

第4回の今回の投稿は、タイトルのとおり、言葉の重要性についての内容。

 

我々は、普段、何気なく(漫然と)、言葉を使ってコミュニケーションを取っているので、実は、「言葉の存在」ということも、あまり意識することはないと思います。

 

だけど、言葉というのは、使い方ひとつで、状況や物事を規定したり、あるいは、言葉の使い手の思想や感性の奥行きを示したりと、重要な機能があり、相手と正確に意思疎通を図るためには、意識しながら、言葉に対する感度を高める必要があります。

 

私自身は、1年間に論文ないしレポートを数本書くこともあるのですが、論文の冒頭の3行(字数換算して100〜120文字)に、当該論文の目的や分析視点、さらには結論も含めて、独自性を主張しながらまとめる(要約する)作業に、数時間、ひどい時には1週間以上かけて取り組むことがあります。

 

冒頭の文章に続く、1万字以上の内容の抽象度を一気に上げて、エッセンスを凝縮する一方で、読み手に「続きを読んでみたい」と思わせるようなリード文を作成するわけで、要は、書いた論文の商品価値を高めるためのキャッチ・コピーを作成しているわけです。

 

だから、言葉って、私のような木っ端役人にとっても、取扱注意の貴重品みたいなもので、誤解を生じさせない、又は、相手を奮起させる、あるいは、相手の興味・関心を引くなどの状況に応じて、使われるべき言葉を慎重に選択しています。

 

ましてや、それが組織の上位者になればなるほど、言葉の使い方(選択)が重要になるのは自明の理。

 

私が、歴史上天才と思える人物は二人いて、ひとりは古代ローマの将軍ユリウス・カエサル。もうひとりは三国時代の魏王・曹操孟徳

 

この二人の共有点は、政戦両略の天才であるのみならず、一流の文筆家であったこと。

 

カエサルは『ガリア戦記』という未だに世界的に読まれる古典的ベスト・セラーとなっている書物を、そして、曹操は現代に残る孫子の戦略に関する注釈本を著すとともに、優れた詩歌も残しています。

 

戦争においては、多くの兵士に対して正確な指令を発し、時には、落ち込む気持を高めるために檄を飛ばす。

 

政争においては、政敵に対して、言論という武器で対抗していく。

 

天才的な指揮官であり、政治家でもあったカエサルや曹操と比較することは適当ではないと思うのですが、やはり部下や兵士に誤解を生じさせる、認識の相違を持たせるような言葉遣いをするような責任者は、そもそも失格だろうと。

 

昨日、実施された日大アメフト部の記者会見で、監督やコーチが、自分たちと反則を犯した選手との間で、「潰す」という言葉に対する認識の相違があったと、臆面もなく話していましたが、その言葉遣いで指揮・命令系統に大きな齟齬が生じ、戦争に負けてしまえば、それは指揮官の責任になるんだろうと思います。(https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK31071_T20C18A5000000/

 

言葉に対する感性って、もっと意識する必要があると思います。

 

私が、言葉を意識するようになったのは、『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリーの次の言葉。

 

言葉では伝わらないものが確かにある。しかしそれは言葉を使い尽くした人だけが言えることである。

言葉は心という海に浮かんだ氷山のようなものだ。海面から浮かんでいる部分はわずかだが、それによって海面下に存在する大きなものを知覚したり、感じ取ったりすることができる

言葉は大事に使いなさい。そうすればただ沈黙しているよりもより多くのことを正確に伝えられる。正しい判断は、正しい情報と正しい分析により初めて成立する。

 

正しい判断のベースには、正しい言葉の選択があるということを常に意識しておくべきだと思います。