イギリスでは11月5日は
ガイ・フォークスナイト(デイ)
もしくは
ボンファイヤーナイトといって
花火を上げたり
地域によっては
張子人形を燃やしたりするそうです。
この日に
食べる習慣があるという
パーキンを焼きました
2年ぶりです。
表面はパリッとした感じに
中はホロホロっとした焼き上がり。
この日の由来については
「ヨーク出身の
ガイ・フォークスらが
国会議事堂を爆破しようとしたが
未然に防がれ
王の命が守られた」
などと簡単に書かれていることが多いのですが
この事件の起こりや
その顛末など改めてWikipediaなどで見てみると
なかなか興味深く、
そして、ちょっと身震いするようなお話でした。
事件が起きた1605年の王はジェームズ1世。
母親はスコットランドの女王、メアリー。
エディンバラ城で
メアリーが出産した子がジェームズでした。
メアリーがカトリック教徒だったため、
ジェームズは即位の際、
カトリック信者から歓迎されましたが、
実際には
カトリックもプロテスタントも擁護せず、
国王は神から特権を与えられていると宣言。
弾圧を緩和して欲しいという、
切なる願いが打ちくだかれた
カトリックの不満分子たちが
王やその周りの人物を
建物ごと爆破してしまおうと計画します。
ところが、
謎の手紙により計画は実行直前で阻止され
実行役として国会の地下に潜んでいた
ガイ・フォークスは捉えられ
ロンドン塔へ。
その最後は、ここには書けない、書きたくない

歴史に、もし、はないけれど
実行されていたら、
1613年にジェームズ一世が
徳川家康に親書を送ることもなかったし、
家康がその要求を認め、
イギリスの商館設置と貿易を許可することもなかった。
もちろん、後の国王が要求する可能性はあるけれど
時期がずれたりしていたら
日本の歴史も少しは変わっていたかもしれない
そう考えると、
まったく無縁の出来事と思えなくなってきました
花火は上がらないけれど今日の夕空
ちなみに、
ロンドン塔に展示してある甲冑は
この時期
徳川家からイギリスに贈られたものだそうです
長くなってしまいましたが、
最後までお付き合いくださいましてありがとうございました


