岩手 田舎暮らし

岩手 田舎暮らし

数十年前に見たCountry lifeというイギリスの雑誌。売り出されている邸宅はお城みたいでした。The Great British Bake Off の舞台になりそうなお屋敷です。ステキでした。

 岩手県盛岡市(旧 都南村)の出身&在住です。田舎の戸建て暮らしは、冬は除雪、雪が消えれば、雑草との格闘で暮れていきます。

 それにつけても、四季があったはずなのに、バランスが崩れて、長い夏と冬の合間に、ちょっとだけの春と秋があるみたい。

 初秋から初冬への季節のみが、宮澤賢治さんの「すきとほる」Air。イーハトーブ(ヴォ)が消滅しきったわけではなくて、ほんの短い間だけ、出現するのです。

 数十年前に観た劇団四季のこどもミュージカル「ユタと不思議な仲間たち」の劇中歌『友だちはいいもんだ』の歌詞に、

 

困ったときは力を貸そう。遠慮はいらない。とか

いつでもどこでもきみをみてるよ。とか

おとなになっても忘れはしない。とか

 

You raise me up の歌詞に

(なんか落ち込んでいても 特定のだと思うケド)

 

あなたという存在が居るからこそ

強くなれて様々な困難に立ち向かえるみたいな

歌詞がある(相当な曲解)んだけど

 

歌詞が旋律にのって音として届くと

心なのか魂なのか判らないどれど

共振してしまうんだ。

 

困ったら助けて欲しいとか忘れないで欲しいとか

だと引くと思うのだけれど

助けるよ、忘れないよ、と行動する意思がこちら側なのがグッと来るのだと思う。

こういう感情が心に仕掛けられた装置、だと思うわけ。

 

引き籠り(私)でも、付き合い嫌い(私)でも

心に仕掛けられた装置が、共生の芽を刺激するのだと思う。

 

例え一瞬でも、その装置が反応するのは、悪い事ではないと思う。

 

 

 

5月19日 十三夜 14:32-02:18

 

 昔、親が、居間の椅子で昼寝しているのを見て、よく寝るなあとか呆れていたけど、今は、私が、昼寝している。昼、寝ても、夜は夜で7時過ぎには眠くなるのだが。順調に加齢しているってことだな、うん。

 

 この年まで誕生日のカードをやり取りしている友人がいるのだが、そのうちの一人が同年齢。誕生月は友人の方が半年先。「〇〇歳のお誕生日おめでとう」の決め台詞で締めるのだが、どー考えても自分の年齢に1つ足した数字を入れるだけなのに、2年続けて、その数字を間違えた。1年目。「年、1年多いよ」「あ、ごめん」2年目。気を付けたつもり。「年、10年少ないよ」「え、だっけ? ごめん」

 

 もう、人生、投げているのかもしれない。つーか、人間関係を投げているのか? いやいや、日常を捨てているよね、私。自分の年すら忘却の彼方。

 今年は無事に数字をクリアした。もー、やだ!とか言って、思考することを拒否している私の脳くんに稼働していただかないと、やっていけないことが結構山積しているのだよ。動いていてくれたまえ。

5月18日 十三夜 13:33-01:59

 

 きょうは、年2回(春&秋)のうちの、朝掃除。草取りです。なんだか、気持ちが割り切れてしまって、1時間、したら、後はもうしない、って気持ちが変わって出かけました。

 で、その通りにして帰ってきました。反対側はスッゴクきれい。私が取ったところは草がボサボサ。もう、しらん。

 

 元々が引き籠り体質で、なかなか出かけてまでは訊けなかったから、顔を合わせたついでに、解散直後に、町内会の会費とかお寺の護持会の会費とか、気になっていたお金を支払い出来て良かった。

 

 町内会費を集める方も、護持会費を集める方も、忙しくて集金出来ないでいるみたい。そうだよね。係するとわかるけど、本当に大変だよね。お疲れさま。そんなこんなで浮世の義理って難しい。助けられることもあると思うケド。

 

 親の介護を通じて、頼りになるのは、親族よりも隣近所よりも、社会制度だ!と悟っちゃった今、パタリロみたいに『いつもニコニコ現金払い』が基本です。

5月17日 三日月 12:34-01:40

 

 私はレコードを聴いていますが、針が消耗品で、次第に入手が難しくなってきています。

 なので、針を使わないレコードプレーヤーというのを見つけたが、お値段が素晴らしい…。本当に良いものなのか、実際に聴いてみたいものだ。本当に針無しでレコードの音を再現できるのか?

 

 私が心の中で「お師匠様」としているお方が何人かおられるのだが、その中のお一人が、

 

『イギリス製ので25年前に聴いたけれど、好みの音ではなかった&AB両面が同時に聴こえて来た』と思い出して下さいました。25年ほど前のことですが、お師匠様の周囲の方々も同じような評価だったそうです。

 

 レコ-ドは、針で聞いた方が良いとお師匠様は考えておられるようです。高いオーディオでなくても、針が良ければ

非常にいい音で聴くことができるそうです。

 お師匠様は、25年前に有名な職人の作成した針(軍事用の人工ダイアモンド製の針)を勧められましたが、躊躇したら、他の人に買い取られて無くなり、1年後にやっと入手した最後のの針も、先に欲しい人がいたために、買うことができなかったそうです。

 レコード針の職人さんは、有名な英国人高齢者の職人で、高品質の軍事用の人工ダイアモンドを入手できないために、もう良質な針を作成できないらしいです。

 

 高額な針でのレコードの音は、音が異なりクリアで深みがあったそうです。安価なオーディオでも50万円の針を使用すれば、高級オーディオの音になるそうです。

 

 アマゾンで見たら私が普段聴いているプレーヤーは1万円を切っていました。今週見つけたその針は千円の桁です。

 

 私の生活とはかけ離れた世界にお住いのお方のお話ではありますが、お話はいろいろと刺激になります。

 

 お師匠様がおっしゃるには、高額オーディオ購入者のほとんどは、ジャズを聴いている愛好家で、ジャズを聴いている方は、聴いている音域が広く一番音にシビヤなので、ジャズの世界の専門家が、日本製の針のいらないレコードプレイヤーを高く評価していれば、購入する価値は、あると思う、とのことでした。

 

 ちなみに、岩手県内にも針のないレコードプレーヤーが入ってきているようです。が、私がそのプレーヤーを体験できるかどうかはわかりません。自分のレコードを持っていって聴いてみたいものですが。

 

 2023年を最後に米作りを辞めた。2024年は2023年のお米を食べていたが、ついに、最期のお米になった。次にお米を炊くときには、買ったお米になる。

 

 農家と言っても、うちの親は、野菜を出荷したりしないからほぼ趣味農家というか農家趣味。私は嫌々サラリーマンをし、田畑の固定資産税を毎年支払いながら、本心では、1円でも良いので農家的な作業をお金に換える努力をしてくれ、と思っていた。消費しきれない野菜を作ってどうするんだ?と思っていた。実際には、欲しい人に分けてしまうので、残ることはなかったけれど。

 

 親が野菜を作れなくなってから、スーパーで野菜や果物を買っているケド、親が畑で作っていた野菜とは微妙に味わいが違うんだよね。野菜の甘さとか柔らかさとか。あの味には戻れないんだな、うん。

 

 そして、自前のお米の味もこれが最期。子どもの頃からお世話になってきた我が家のお米の味。いままで、どうもありがとう。

 

5月15日 上弦の月 10:32-0:57

 

 ルンバちゃんのモーターがダメになった時、既に廃番で、他は良さげだったので諦めきれずに、純正部品が残っていた中国からお取り寄せした。

 次は、ターミナルのケーブルが断線しているっぽく、こちらは中古でオークションに出ていたものを落札した。1つ1つの部品を交換すれば十分に使える製品が、部品が「廃番」だから、というそれだけで、稼働させることが出来なくなる現実はどういうものなのだろう?

 居間のエアコンの調子が悪い。で、K’s電気の安売りセール最終日に出かけて行き、売れ残りが1台あるとのことで契約の運びとなった。だけど、法律が変わったとかで、配線を替えなければ今の位置に設置できないと言われた。

 掃除して今年はなんとかしのごうとしたら、10年前以上のエアコンは掃除すら請け負いできないんだって。経年劣化した部品が掃除途中で壊れる可能性もあるから。

 

 もしかして部品の保持期間は10年くらい? 20年くらい部品が残ってくれていたら良いのに。

 

 こーなると、選択肢があるなら、効率重視・頑固一徹の国の製品を選択しそう。たとえば、ドイツとか。日本の製品や食品に誇りを持てたのは昔の話か? 果物なら南アフリカとか?

 

 ゴミで地球がUPUPしている今、修理して使える製品にシフトしても良いかも。

 

 

 私が食べたらいけない、おいしいパン。だけど、しばらくぶりで買ってみたら、気のせいか、中のクリームが半分くらいに減っていたような気がしたのは、錯覚かも?

5月14日 三日月 9:28-0:31

 

 生きる上で、本当にいろいろな用事(雑事?)があって、気が付けば1日を終えている。生きることに右往左往して人生を消費している。

 これで良いのか?

 社会に適合するために費やす時間に振り回されているだけの日々から、抜け出すには、どうしたら良い?

 

 自分が生きるとき、何を大切なのか、何をするために命があるのか、見失わないようにする。それだけ。

 そのことを意識しているだけで、日々の雑事に埋もれていても、自分ってものを見失わないような、そんな時空の座標になり得ると思っている。

 今回の流れは、こんな感じです。

 

①2月→確定申告をする。

②4月→申告通りに所得税が通帳から自動的に納税する。

③5月13日→税務署から「所得の申告の見直しについて」が届き、慌てて税務署に電話する。

④5月14日→税務署で申告し直し。

 「所得税及び復興特別税の更正の請求書」を提出して来る。

 

 これで、本当に令和5年の所得の申告が終わった。ほっとした。

 

 *結果・・・納税した税金が半分ちかく戻ってくるんでそうで・・・どんだけアホなんだ私。同じ金額を2行にわたって書いていたので収入が倍になっていた・・・。いろいろと教えてくれた署員さんありがとう。親切な対応でした。隣のブースは数人変わったけれど、誰に対しても、盛岡税務署は親切で詳しい対応でした。(私、内容は理解していないから大丈夫)

 

 税務署からの帰り、スーパーでパックのお寿司とかおやつとか買ってきちゃった。

 

 

 

 

 突然に家族に介護が必要になって、どうしようもなく、仕事を辞める、というケースは、ネットでもドラマでも見ていた。そして、仕事を辞めると、金銭的に追い詰められていく、そんな結末。

 

 そんな事態がわが身に降りかかってきたとき、(親が心臓の働きが悪くて手術することになり、その恐怖から附随して認知機能に問題が起こった)、私が考えたことは、介護が必要になっても、なるからこそ、退職はしない、ということでした。私はそのとき50代に入っていて、普通のお給料はいただけていたので、毎月のお給料を、介護の人件費に全てあてて、自分の生活費は、年2回のボーナスや貯蓄を切り崩す方向で行こうと思っていました。働いている実績さえあれば、その分、年金にも反映されますし、自分が介護するよりも、未来につながる、と結論しました。

 

 結局、親は、入退院を繰り返し、ディサービス等にも助けられ、最後は骨折で動けなくなってからは施設にお世話になり、私は社会の福祉制度にお世話になって、定年まで働くことが出来ました。

 

 本当に日本の制度は素晴らしくて有難くて、親の心臓の手術のときは額面は600万くらいの請求でしたが、実際には、高額医療のお陰で、安心してお世話になることが出来ました。

 

 今は、雇用形態が私が働いていた時代とは違って来てはいるので、ケースバイケースではありますが、サラリーや福祉の制度が良い職場にいる人は、自分自身の老後のためにも、仕事を手離さないほうが良いと思います。

 繰り返しますが、たとえ、毎月のサラリーが、介護の人件費でゼロになるとしても、働き続けることで未来に繋がります。と、当時、思って、働いていました。

 

大好きなニッポンエールのシリーズのグミです。スーパーで見かけると買ってしまいます。

 

***

 盛岡税務署から封書が届きました。確定申告に書き間違いがあったそうで・・・。なんか、よくわからないので(直してさらに間違ったら申し訳ない)、明日、税務署で訂正してきます。

 印鑑はいらないんだそうで。

 なんか、ちょっとお金が戻ってくるみたいです。

 やっぱしー、間違っていたかー。バカだからなー、私。

 今は、自分にとって未知のことや物を選択するとき、ネット等で、様々な手法や考え方を閲覧できる。その多角的な見地から、いかに自分が、一つの答えを得るに至るか、ということ。

 知識も経験も無い素人ゆえに、矛盾したり対立したりしているプロの他人様が示してくださる考え方の、多種多様の選択肢(情報)の中で溺れそうになっている。

 

 では、どのように、複数の選択肢の中から、たった一つだけを選択したら良いのだろうか。

 ずっと考えていたのだけれど、手法や機能等の特長のなかで自分が一番、必要なものを選択するしか無いのだと気が付いた。他は諦めるしか無い。

 

「空也」

 

 漱石の「吾輩は猫である」に出てくるから、といきなり届いた。文豪たちが親しんだ銀座のお菓子などあげられて、うちのご先祖たちは驚いたことだろうな。

 確かにカワ(?)の部分が美味しかったし、なかの餡も繊細な甘さで美味しかった。

 存在を知らなかったし、自力では、銀座まで行くこともないだろうから、私の視界を拡げてくれてありがとうの最中です。