今さらですが
定位脳手術の前日・当日の記録を残しておきたいと思います。
手術前日 手術説明
(手術説明書でわかっていることは省略。手術説明書はネット上でも公開されている)
手術は西B棟(病室と同じ棟)の2階で行う
手術例は過去200例ほどある
(後日追記: 200例の中にはおそらく書字振戦患者も数多く含まれていますし、
楽器奏者もいろんな楽器の人が混じっています。右の症例も左の症例も。)
電極棒を刺す深さはだいたい7~8センチぐらいである。
0.1ミリ単位の精度で目的箇所に到達できる。
(後日追記: 数字を切り取っていくのが好きな人いますね。
電極を刺す深さなんて、頭の大きさによって違うでしょうに、お馬鹿ですね(笑) )
フレーム取り付けの際、最初の5分ほど痛い。あとは麻酔で痛まない。
脳には感覚神経はないので、脳自体は痛まない。
焼いた周囲の浮腫により一時的な後遺症が起きる。
浮腫は予測がつかない。2~3割の人に起きる。2~3週間続く。
私の場合、右手のための手術なので、右の緊張を解くことにより
右全体の力が抜ける可能性がある。
そうなった場合、3か月間ほど続く。
(後日追記: 私の場合、3ヶ月ではほとんど改善なく、この追記をした術後10ヶ月でも障害は残っています。
また、腕の制御が効かず苦労しています。これは手術説明になかったことです。
2年半たっても呂律にかなりの障害が残っている人もいます。)
今年に入って再発ゼロ。
最近少しやり方を変えて、成果が上がっている。
(どういうやり方かは聞かなかった)
ここ1か月ほどの手術例では一発目の凝固で効果が出ている。
(後日追記: この「新しいやり方」というのが障害に影響している気がします。
2~3年前の手術と今とでは状況が違うかもしれません。)
焼く温度は70度(脳細胞は55度で壊れる)
熱の伝わり方の個人差で、壊れる範囲の残り方が変わる。
残り方が小さくなりすぎると再発につながる。
若い人が再発しやすい傾向がある。
手術でジストニアが消えても
運動プログラムまでは改善できない。
リハビリは必要となる。
夕食後に看護師さんが手術同意書を持ってこられて
サインをした。
9月16日 手術当日
7:15 病室に近い別室で処置開始。
眉毛上に麻酔注射の前の痛み止めを貼る。
フレームが食い込む部分に麻酔の注射。
フレームの装着。
8時ごろ MRI撮影に向かう
MRIは時間がかかったが順調に終了。
看護師さんがMRI室の人にCTの検査表を渡されて、レントゲン室に向かう
レントゲン室に着くなり、レントゲン技師に
「えー!?今来る~!? 何で今なの? これからICUの患者を入れるとこなのにさあ」
と言われる。
別の人から「前もって電話もらえると有り難いです」と、きつい口調で言われる。
しかし、それは変ではないか。検査表は渡されていた。
(後日追記: 女子医大病院で起きたことは他にもいくつかあります。
平チームとは別の問題です。)
私をレントゲン室に連れてきてくれた看護師とレントゲン技師との間で
ずいぶんもめて、
一度はすぐCTを撮ることになったが
結局、あと回しに決定。
看護師さんに「ここでは落ち着きませんからいったん戻りましょうか」と言われ
病室に戻る。
9時半を過ぎており、
「これでは10時に手術室なんて無理ですね」と肩を落とす。
そこに手術室からお迎えが来た。
「さあ~、それでは手術室に行きましょう~ (^_^) 」
「まだCT撮ってないし、行けないですよ...(-_-;) 」と私が答える。
お迎えの人、「えっ」 と 絶句して、「ちょっと待ってください」 と
出ていかれる。
暫くして、いきなり、
「CTは撮らなくて良いそうですから手術室へ」
と言われ、慌てる。
(後日追記: CTを撮れば余計な被曝と医療費。撮らなくていいものは断りましょう。)
忘れ物をした。
・ 指の確認事項を書いたメモ
・ 確認用の鏡
・ 手術室で流してもらうCD
全部忘れた
あやうくギターも忘れるところだった。
(ちなみに、「手術中に流したいCDはありますか?」というようなことは
一切尋ねてもらえない。手術室に着いたらピアノのCDが流れていた。)
手術
予定通り、10時に手術は始まったようである。
「じゃあ、ちょっと剃らせていただきますね。」
と、ザザザッと素早く剃られ
メスが入れられたようだ。
電動ドリルのすごい音のあと、
しゅぽん という感じがして、
頭蓋骨に穴が開いたことがわかった。
開頭後、何か弾き続けるよう言われ、
ブレリアのリズムを弾いていたら、
一発目の刺激を与えられたらしく
リズムが軽くなった感じがした。
平先生が
「お、音色が明らかに変わった。」とおっしゃった。
「これで確信を得たな」 というようなことも おっしゃったと思う。
確信とは"新しいやり方"の成果ことだろうか(?)
ここまで15分ぐらいだろうか。
わからないが、あっというまのように感じた。
(後日追記: 鍼治療のごとくスルスルと、かなり進行が速いのは確かです。)
ブレリアのリズムがいきなり弾けてしまった。
だけど確認事項のメモを忘れた。内容を思い出そうとしたが
どうしても思い出せなかった。
ソレアのリズムの4本指4連奏法を弾いたら とてもうまくいった。
「これができなかったんですよね~」と悦に入っていたら
「"これが"って言われてもねぇ」と平先生に苦笑された。
そのあとたぶん、「これぐらいでどうですか?」と訊かれたんだと思う。
手を見たらまだ中指と薬指が少し曲がり込んでいた。
両手を目の前に掲げたまま
気になって、「う~ん」と唸っていたのは覚えている。
どうしたらよいかわからず、頭が真っ白だったと思う。
自分から何か具体的に頼んだだろうか。
ひょっとすると「曲がった指はどうにかなりませんか?」ぐらい言ったのかもしれない。
このへんの成り行きは全く覚えていない。
「よし!」 と言われて作業が再会されたと記憶している。
たぶん、電極を一度抜いて刺し直したんだろうな という感覚があったが
実際はどうだったのかわからない。
自分のメモで確認すべきだった事項が全く確認できないまま、
手術は次の段階に進んでいった。
「手を叩きながらパンパンパンと言ってください」と言われた。
口に麻痺が出てないことを確認しながら進めるためだ。
手術はひたすら、パンパンパンで進んでいった。
「もっと大きな声で、ここは頑張りどころですよ!!」と言われ、
「パンパンパンパン パンパンパンパン パンパンパンパン」
ひたすら言い続け、手拍子を続けた。
確認事項のメモのことが頭をよぎりつつも、
思い出せないものは仕方ないし、手術はどんどん続いていた。
これをどこまで続けるのか、次にどういう段階が待っているのか
わからなかった。不安だった。
どのぐらい時間が経ったかわからない。
曲がっていた指は徐々に伸びていった。
平先生が
「さあ、そろそろ終わりにしましょう。怖いのでね。」
と言われた。
正直、ほっとした。
そのまま手術は終わった。
つまり、ギターで確認したのは最初だけなのだ。
あとはずっと手拍子だけだった。
まさか、こんな終わり方をするとは予想していなかったが
最初にギターが弾けたのだし、最後に手は開いたのだから
手術は大成功!と思った。
病室に戻った。
時間を記録しておこうと思って、妻にメモ帳をとるよう頼み
字を書いた時に全く書けなかった。(12:30)
「俺、ひょっとしてギターしか弾けない体になったかもね」
と笑った。
「それはそれでいいじゃない?」 と妻も笑った。
何もできない手になっていることに気づいたのは
翌日の昼前のことだった。
何だか変
まるでパーキンソン病になったような…
何とも言いようがない。
ぶれるような、固まって動かないような。
ギターは
アルペジオを弾こうにも
親指が1本の弦を弾くことができず、
3~4本同時にバランと弾いて、留まるべき位置から行き過ぎてしまい、
元の位置に戻れず激しく震える。
(震えというより、腕がガックンガックンと上下する)
(後日追記: 腕がガックンガックンする状態は術後10ヶ月においても時々起こります)
他の指も全て、複数弦を同時に弾いてしまって元の位置に戻れないし
人差し指で往復の掻き鳴らしをしようとしても、
6弦で親指の支えがとれない。
ズボンのポケットになかなか物が入れられない。
小銭が 以前にも増してつかみにくい。
箸もうまく使えない。手の位置がブレてしまう。
風呂で体がうまく洗えない。手が勝手に右へ左へとブレる。
歯ブラシがうまく使えない。喉に突っ込んでしまう。
しかし、手拍子だけはうまくできる。
手術記録 以上
手術を受けられる方は私のような失敗をしないよう、
用意したものは朝一番に無理やりにでも看護師に預け、
確認事項は自分の頭によく叩きこんで、何ならマジックで自分の手に書きこんで、
CTやレントゲンで不測の事態が起きても 何が起きても 冷静に待ち、
(後日追記: CTを撮れば余計な被曝と医療費。撮らなくていいものは断りましょう。)
手術で同じことがずっと続く場合は
「これはどのぐらい続けるのですか?」 とか
「次はどういうことをするのですか?」 とか
しっかりコミュニケーションを取りながら進めることを
お勧めします。
私は今、手術のお蔭でジストニアではなくなっていると思います。
指自体は屈筋と伸筋が拮抗するようなことはありません。
でも、ジストニアより不自由な状況に陥っていることも間違いありません。
どういう機序でこういうことになっているのかはわかりません。
(後日追記: 結局10ヶ月で再発しました。程度はまだ軽いですが。
体は不自由なままです。)
これから何か改善があるたびに
書きこんでいきます。