Chapter0.3「戦いの夜」


 多分、これは夢ではない。何故なら、あの夜の後を『私』はしらないから。

「…だよ、覚えておきなよ」

 青年は相手に向かって名前を告げると、小さく微笑んだ。

「そうか、貴様があの有名な…」

「どれで有名なのかは知らないけど、期待に背かないように努力するよ」

 青年は剣を構えると、何の予備動作もなく一気に間合いを詰めた。剣を持った男は咄嗟に剣を縦に構えて、両脚に力を込めた。それが正解だったらしく、青年の振るった剣を弾き返した。だが、向こうの勢いの方が強く、体勢を崩し数歩後ろに下がる。

「ところで、僕だけ名乗るのは不公平じゃないかな?」

「こちらが名乗る前にそちらが斬りかかったのだろう」

 男は皮肉で返したつもりでいたが、

「いや、一撃で終わると思ってたから。でもそうはいかないみたいだから聞いておこうと思って」

 更に皮肉で返され、男は苦笑いを浮かべた。

「我が名はテュルフィング!」

「…テュルフィング?聞いたことないな。やっぱり低位の悪魔か」

 青年は無防備に構えていたが、テュルフィングは慎重に構えた。隙だらけの状態が、逆に誘っているように感じたからだ。
 しばらく青年は何度もテュルフィングの名を呟きながら考え込んだ。だが、程なくして考えるのを止めてテュルフィングの方へと体を向けた。

「まぁ、いいか。じゃあ続きをしようか」

 それを言うと同時に青年が一瞬にして視界から消える。そして間を置かずにテュルフィングの左手側、剣を持っていない方に移動する。テュルフィングは反射的に剣を振るうがその頃には消えていた。

「!?」

「遅い…!」

 声はテュルフィングが剣を振った方向と反対側から聞こえ、振り向いた時には既に遅かった。青年の剣が振るわれ、テュルフィングの右腕を容赦なく斬り上げる。体から離れた右腕は持っていた剣ごと弧を描き、遥か後方まで跳んでいく。

「せっかくの良い夜なんだ…」

 テュルフィングは無駄だと分かっていながら剣を取りに跳んでいった右腕の元へ走った。だが、その右腕の前にいきなり青年は現れた。覚悟を決め、走る足を止めずに残った左腕で殴りにかかる。

「迷わず、闇に還れ…!」

 右から左へと剣が横一文字に一閃される。テュルフィングにも一振りしたようにしか見えなかったが、実際には幾重もの剣閃がテュルフィングを切り刻んだ。どれが体のどの部位か認識できないほどにバラバラになるテュルフィングの体。その肉片は1つも地面に落ちることはなく、灰になっていく。それを見届けると青年はマントの中に入れていた鞘を取り出し、剣をしまう。

「さて、思った以上に時間を喰ったな」

 壁にもたれている美月の元へ歩み寄る。安らかな寝息を立てて眠っているものの、背中から流れている血は一向に止まる気配を見せない。

「…やれやれ、放っておいたら死ぬかな、これは。約束は『美月を助けること』だよね、確か」

 テュルフィングを倒したことで当面の危機はなくなったものの、美月のケガをどうにかしなければ意味がなかった。

「医者は駄目か。色々面倒になりそうだし。…仕方ない」

 青年は素手で美月の服を破り、背中を出す。縦にキレイな一文字型の傷があり、青年は右手をそこに触れさせた。

「治療は苦手なんだけど…」

 青年の右手が光り、触れていた背中の傷がみるみる塞がっていく。ものの数秒で背中の傷はなくなり、ついていた血を拭う。

「…これで大丈夫かな?後は家まで運んで寝かしたら元気になるだろう」

 青年は美月を起こさないように細心の注意を払いながら、お姫様抱っこの要領で優しく体を抱き上げた。そのまま夜の道を歩いていき、闇の中へと消えていった。
 彼らのいなくなった場所にはテュルフィングの使用していた剣が地面に倒れたまま残っていたが、それはもう美月の父との約束を守った青年にとっては興味のないことだった。
 そのため、2人がいなくなった後に、まるで意思があるかのように剣が身を起こし、いずこかへと飛んで行ったことは、青年の知らないことだった。