
私は短気な人派!
本文はここから「面白くない人」、
そう思いながら付き合いを始める場合、
「自分がその人に惹かれていない」という現実を
「面白くない」という、
恰も相手のキャラクター、センス、などに
問題があるかのようにすり替え、
責任転嫁している部分があるのでしょうか。
それは交際ではあっても
恋じゃない。
そんな気がいたします。
ただ、
そこまで冷静に、
「惹かれては居ないけれどお付き合いはしておこう」
という判断(損得勘定)で行動している間は
ある意味、
自分の身を危険に晒す可能性は
低いような気がいたします。
トーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』に
「最も多く愛する者は、常に敗者であり、常に悩まねばならぬ」
という言葉があるのだそうです。
惹かれていなければ、
二者の関係性において優位に立つことはたやすい。
ですから
危険な目に遭うこともないだろう、
そう思います。
ただ、ある意味精神衛生にはよくありませんから、
自ら望んで違う危険に身を投じることも
ありえますでしょう。
「まさに端倪すべからざる運命は
どこにその陥穽を仕掛けているやもしれぬ」
でしたっけ。
山田章博の言葉です。
人生甘くはないものだ、ということでしょうか(笑)
一方。
相手が「短気」だと知りつつ惹かれている場合。
この場合には危険が、
しかも
付き合いが深まるほどに程度が深まり頻度が増すような
危険が
予想される、…そう思います。
「短気な人」が危険である、と
申し上げているのではないのです。
「短気な人」と判断し、
適切な距離感を保ち、
健全で良好な人間関係を築くことができるのなら
別段危険はない…かもしれません。
(「短気」の度合いにもよりましょうが)
しかし。
相手が「短気である」と知りつつ惹かれている場合、
往々にして
「そう言う人なのだから自分が気を付けて
地雷を踏まないように」、しなければならない、
などと考えがちです。
(自罰的なタイプだからかもしれません)
こういうことを考えている時点で、
対人関係における判断力は曇っております(笑)
その判断の、狂い始めが、
人間関係のフェアネスを自ら捨ててしまう、
そういう危険な兆候なのだと言える訳です。
(実際問題、そういうタイプのひとが、
少なくないような気もいたしますが。)
こういう狂ったジャッジの元に
短気な人間がその短気さゆえに
腹を立て、理不尽な行動に出た場合、
「怒らせてしまったいたらない自分が悪い」
という反省をしてしまいがちです。
こんな反省を日常的にするようになっていれば
もう、
恋愛状況の悪化、
精神状態の悪化は
随分進行していると思って差し支えないことでしょう。
結果、
「面白くない人」とお付き合いして
精神衛生に問題が発生する、
この場合のダメージとは
比較にならない規模のダメージを受けることになります。
そんなわけ、ですから、
過去の反省をもとにとりあえず宣言でも
させていただいておこうかな、
などと
思っております。
「短気な人」との恋愛は
何があっても絶対
どんな手段を講じても
避けたい。
偏に己自身の心身の健康のために(笑)
ただ、問題は
「短気な人」って
最初から「短気な人らしい態度、振る舞い」を
見せる訳じゃないのよね…(笑)
人の「短気さ」を見抜けないのか。
人の「短気さ」を引き出してしまうのか。
人の「短気さ」に由来する何かに惹かれてしまうのか。
それが問題だ、という気がいたします。
しかし。
考えるのも恐ろしいことですが
もしや。
「性格が穏やかで感情の振幅が小さい、
情緒の安定した人」
を
「面白くない人」
と感じているのなら。
短気な人に惹かれ
そうでない人を
刺激が少ないと感じ面白くないと思ってしまうなら。
それは「短気な人に惹かれる」こと以上に
深刻なことのような気がしてまいりました。
それだけに
「恋人にしたくないのは 短気な人? 面白くない人?」
というご質問には
本当に真剣に心から「短気な人」とお答えしたいと思うのです。