二十六夜月 2009年12月12日 | feelsayo 2 

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猫を眺め 猫を被る日々。  
内心 ・・・ です。

太陽暦 2009年12月12日

太陰暦 2009年10月26日



06:29:54am


feel sayo 2 昭和的外猫日記-moon091212a


月齢凡そ25.09。

灰色の暑い雲の間から束の間現れ消えた月。



06:44:08am


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月齢凡そ25.10。

東の空は朝焼け。



07:13:44am


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月齢凡そ25.13。

朝焼けが広がる空。薔薇色の雲と月。



07:15:16am


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月齢凡そ25.13。

一時、雲が晴れた朝の空。



07:17:58am


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月齢凡そ25.13。

薄雲越しの月



17:18:28am


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月齢凡そ25.13。

白い大きな雲が月に近付く。

雲が明るい。



07:18:38:am


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月齢凡そ25.13。

白い雲にのまれる直前の月。








蝶 月見の風習と、二十六夜とその他月の名前の関係について、Wikiptdiaから。


江戸時代の遊里では、十五夜と十三夜の両方を祝い、

どちらか片方の月見しかしない客は「片月見」または「片見月」と言って遊女らに嫌われた。


二度目の通いを確実に行うために、

十五夜に有力な客を誘う(相手はどうしても十三夜にも来なければならないため)風習があった。

更に、地方によっては月待ちという風習があり、


十七夜以降を


立待月(たてまち-)、


居待月(いまち-)、


寝待月(ねまち-)、


更待月(ふけまち-)、


というのはこの名残である。


二十三夜待ちまでを行う地域が多くを占めたが、

二十六夜待ちまで行う地域があり、

月光に阿弥陀仏・観音・勢至の三尊が現れる(『広辞苑』より)、

という口実を付けて月が昇る(大体、深夜2時ごろ)まで遊興にふけった。


この風習は明治時代に入ると急速に廃れていったようだ。



以上、Wikipedidiaからの引用でした。




蝶 このエントリに記載されている月齢を


The Moon Age Calendar  さんより


月名(旧歴日)を


こよみのページ  さんより


引用させて頂きました。

(月齢は四捨五入させていただいております。)