叔父が亡くなりました。
父親がいなかった私にとっては
叔父は「父親代わり」の存在でした。
遠方なので、そんなに頻繁にはあえなかったけれど
ここ10年くらいは毎年遊びに行っていて、
一緒にご飯を食べたり、他愛もない話をして、笑って楽しい時間を過ごしてきました。
いつかはお別れの日が来るとは覚悟していたけれど
そのときがくるとやっぱり寂しいものです![]()
そんな今、わたしがふと考えたことを文章にしたいと思います。
通夜や葬儀は
誰のために必要なのか
コロナ禍以降、葬儀の形はずいぶん変わりました。
家族葬
オンライン参列
直葬といわれる通夜葬儀をしない形
そして、「遠方だから無理しなくていいよ」という気遣い。
これらは決して悪いことではなく、時代に合わせた優しさでもあると思います。
でもわたしは、大切な人が亡くなったとき、
通夜や葬儀の場で、その人との時間をみんなで思い返すことには、とても大きな意味があると感じています。
心理学では、大切な人を失う体験を「喪失」と呼びます。
そして人のこころは、喪失を頭で理解するだけでは整理できません。
「もう会えない」という事実を、
少しずつ感情で受け止めていく時間が必要になります。
だから、お通夜や葬儀には意味があるのだと思うのです。
顔を見て、
思い出話をして、
「ありがとう」を心の中で伝えて、
泣いたり、笑ったりしながら、
“本当にいなくなったんだな”を、少しずつ受け入れていく。
心理学者のボウルビィは、深い悲しみは「愛着を失うこと」から起こると言いました。
つまり、寂しさや喪失感は、それだけ大切に思っていた証でもあるんですよね。
そして不思議なことに、悲しみは「誰かと共有すること」で少し軽くなることがあります。
「あのとき、あんなこと言ってたよね」
「優しい人だったね」
そんな会話の中で、故人は“いなくなる”だけではなく、残された人たちの中に存在し続けていく。
だから葬儀って、
亡くなった人のためだけではなく、
残された人たちのこころを支える時間でもあるんだと思います。
簡素化が悪いわけじゃない。
行けない事情がある人ももちろんいる。
でももし可能なら、
大切な人とのお別れに、少し時間を使うこと。
想いを馳せること。
悲しみを共有すること。
それは、こころが喪失を受け止めていくための、とても自然で大事な営みなのかもしれません。
わたしも、ゆっくりお別れをしたいと思います![]()
こんなことありませんか?
【なんだかこころが弱ってるなあ】
【溜まっている気持ちを吐き出してスッキリしたい】
【カウンセリングに興味ある!】
よかったらこちらをご覧くださいませ。
オンラインカウンセリングもやっています。
![]()

