①の続きですが、
ここから読んでも何の問題もありません(笑)



基本僕はモノづくりの人なので、

そのプロセスの中で色々と感じたり、

気付くことが多いのだけども。



それとは別に

先日、姉が言った言葉にハッとするものがあって。


「私、夢リストとかって書けないんですよね〜」


そんなことを言っていて。

実は、僕も同じで(笑)


その言葉を聞いた時には
おぉーって思ったもんです。いろんな良い意味で。


簡単にやりたいことリストを書けちゃう人って

どこか信じられないと言うか、

ウソくさいというか。


良く言えば羨ましいとも言えるのだけど


「書けない」


と言う姉が、とても正直で素敵だと感じたし

本当に自分のことを大切にしているんだなって
感じたのです。



やりたいことリスト、夢リストなんて
よくあるワークで。



やりなさいって言われたら



イイコちゃんは無意識に



依頼者の期待に応えて


こんなこと書いておけば、
ウケはいいだろ?みたいな
それっぽいものを

さも自分の願望であるかのように

作り出しちゃう。
それはもう無自覚に近い状態で。



でもさ。

それって実のところはニセモノだから

エネルギーは発動しないんだよね。



その裏には

悲しいまでの自己否定が隠されていて。



自分の本心( 本当にやりたいこと )は
決して表には出さない。


と。

いつの頃にしたのかわからない

狂気に満ちた決意が

いまだに猛威を振るっているのだよね。





どうせ聞いてもらえない。

絶対否定される。

わたしがやりたいことなど
やってはいけない





そんな無意識のリフレインが

背中で叫んでいる!!(笑)





でさ。
話は戻るけど。


今までは

「◯◯しなければならない」ベースで
ものを考えてきた。


それってのは裏を返せば



愛されるためには
期待される答え、行動、成果で
応えなければならない。



って事で。
で、結果どうなるかは全て、
他者に依存しているって訳で。




だから。




自分の中にない答えを
どこかに探し続けることになる訳で。




それって結構ツライよね。





気付かないうちは
それでワーキャーやっていられるんだけども


気づき始めてしまうと

そんなニセモノの価値観では

テンションすら上がらなくなってしまう。


何故なら。

もう耳も目も口もふさいでいられない程に

気づいてしまったから。




他者依存のねばならない意識で

作品を作り上げるプロセスは

創造、誕生の喜びなど皆無で



これでいいかな?
これでいいのかな??


と、悲痛にも近いお伺いを
見えない誰かにたてて。




ああ。


誰かが作った

「 こうしなければならない 」

って価値観で


今まで生きてきちゃっていたなぁ。

なんの疑いもなく、無意識で。

それが正しいことだと信じながら。





でね。

モノづくりに戻る訳ですが


感じてみました。

おんなじものを作るにしても

どんな風に作っている時が

楽しいかなって。心地いいかなって。




より現実的に考えるとして

仮にゴールは同じで決まっていたとしたら



そこにたどり着くまでの道のりは



すでに決められていて、

その通りに行かなければならない。



ゴールにさえたどり着けば

どんな道のりだってOK!!



どちらがいい??



僕は断然!!

後者の方が楽しいし、気持ちがいい。



そんなわけで



行きたい目的地が決まったら。



創作したいアートが見定まったら。



それをどんな風に表現したいか、考えてみる。


感じてみる。




無意識に


既存のルールに、


誰かの決めた方法にのっとって

やらなければならない!!



そんな束縛から自由になって。




誰かに批判、否定されるかもしれないとしても


こんな風にやってみたいな。

こんな風にやってみよう。


そんな方法を
まずは自分の中で


見出してみようでは
ありませんか。^_^