「 幸せ 」にならなければならない。
「 心地よく 」なければならない。
そんな風に思っていませんか?
出来事と自分を同一化しない。
全てを受け容れる。
全てを
ありのままに受け容れる。
全てを許容する。
私は私であって、私ではない。
理解不可能、認識不可能なこのパラドクスに。
私たちはどこから来て
どこに行くのか。
その答えを
ずっーと、外側に探し続けているみたいだ。
答えは己の中心にある。
と分かっているつもりでも、
うっかりすると
外側に、他者に
依存している個に気づく。
そもそも
このパラダイム自体が
外からやって来ているものかも
しれないが。
究極の結論。
この私はどうありたいのか?
??
そもそもがこの「 私 」なのか?
魂があるとして。
その魂の表れが
「この私」
であるならば
答えを聞くのは
「 私 」
ではなく
『 魂 』
なのではないだろうか。
そして、この私は
魂の表現、想いを受け取り、
この世界に形、現象として現す
アート・モデリング・デヴァイス
なのではなかろうか。
(なんと!!私はモデリング・ツールだったのか!!

)
私は魂の依り代であり、
魂のナヴィゲーションシステムであり、
魂の乗り物である。
この「私」だと思っている「自我・自意識」は
この「 肉体 」という車に
「 魂 」という乗客を乗せた
タクシードライバーのようなものなのでは??
お客様は、魂です。
で。
タクシードライバーである、
この『私』はどうするのか??
答えはシンプルに。
お客様を目的地まで
送り届けることだ。
(、、、ってことは、わからなくなったら、
背中に乗せてる『魂』に答えを聞けばいい??)
さて。
ここで新たなパラダイムシフトを。
私は私であって、私ではない。
この私だと思っているものは
実は
通路のような
滲み出る網目のような
はたまた濾過紙のような
じわーっと滲み出て来るフィルターみたいに
その通過する感触を
「 私 」
として体感している。
その感覚が
この世界における「 私 」
そして。
その私をさらに包括するように観察している
より大きな
『 私 』
も存在しているような。
例えていえば
映画の中の登場人物としての「 私 」がいて、
その私は自分が映画の登場人物だなんて思っていない訳なんだけれども、その私を、映画の登場人物としてみる、別次元?の私も存在しているような。
そしてその
二つの『 私 』を
同時に体験している。
ような。そんな感覚。
グラウンディングと言うよりも
スペーシング space-ing
『 場 』と繋がる。ひとつになる。
現実とは、なにか。
タイに2週間弱行っていたのだけど(仕事で)
そこはある種、非日常の世界。
日本では日常に感じている
「 制限 」「制約」
から解き放たれて、
そこではまるで全てが自由であるかのような
そんな感覚が
意識の底辺において感じているような。
キャンバスのベースがそんな感じ。
だからなんだっちゅう話なんですが(笑)
僕にとってThailandという国は
そんなバイブレーションを纏っているようです。
やはり
土地のバイブレーション、
場のバイブレーションと言うのは、
とても大きいようです。
僕の場合、タイに行くたびに
大きな変容、意識の変革、
魂の大解放!!
が起きているような気がしています!!\(^o^)/
今回の大解放は(笑)
選択、決断に妥協しない。
という事。
それまでは
こんなもんでいいか。
みたいなところで、
ほどほどに済ませていたところを
ドキドキするけど、これがいい!!
私にはこれを選ぶ価値がある!!
そんなエネルギーで選択をするという事。
なんだかそんな事当たり前じゃないかって
聞こえるかもだけど、
意外とマジで
これがいい!!!
って選択をすることは
どこか恐怖心があったり、
自分にはふさわしくないなんて思ってしまったり
するところがあるんだよね。
その恐怖心、無価値感を乗り越えて!!
本当に自分が求めることを
選び始めました✨✨✨🤝🙏😁
さぁ!!
安全な、当たり障りのない
ほどほど
から飛び出して!!
本当に表現したい世界を!!
本当に体験したい世界を!!!
クリエイトしようじゃありませんか!!!
あなたの魂の完全解放を!!
私は応援します!!!
いつもありがとう😊
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