私はある時に
自分の基準というのを捨ててしまった、という体験があります。
それは今思い起こしても、
決して心地のいい経験とは思えないのですが、
その選択も、その時の自分からしたら
最善の選択だったんだと思います。
書き出しはこんなことを書くつもりじゃなかったんだけど、
ここでも納得してしまった!
自分で選択したんだった!
で。
自分でした選択ならば、
自分で新たな選択することは簡単?なはず。
(じつは一番骨が折れるかも?)
で、最近は、己の基準、というものを
とても大切にしています。
と言うか、
「ここで自分はなにを求めているのか?」
に気づく様にしています。
以前は、視覚的なクオリティを
ひとつの基準の尺度として持っていました。
最近は、感情のクオリティを
特に大切にしている様な気がします。
仕事でなにかを作るにしても、
いかに気持ち良く、楽しくつくるか。
お客さまがこれも見てどんな気持ちになったら、
お客さまは嬉しいだろうか?とか。
嬉しかったり、感動している気持ちをソウゾウ(想像・創造)しながら。
そして自分自身も嬉しくなったり、たのしくなったり、
安心したり、宇宙とつながって見たり??
気持ちって、すごい大事だと思うのです。
さあ、はなしたい事をはなしましょう。
自分の基準というのを捨ててしまった、という体験があります。
それは今思い起こしても、
決して心地のいい経験とは思えないのですが、
その選択も、その時の自分からしたら
最善の選択だったんだと思います。
書き出しはこんなことを書くつもりじゃなかったんだけど、
ここでも納得してしまった!
自分で選択したんだった!
で。
自分でした選択ならば、
自分で新たな選択することは簡単?なはず。
(じつは一番骨が折れるかも?)
で、最近は、己の基準、というものを
とても大切にしています。
と言うか、
「ここで自分はなにを求めているのか?」
に気づく様にしています。
以前は、視覚的なクオリティを
ひとつの基準の尺度として持っていました。
最近は、感情のクオリティを
特に大切にしている様な気がします。
仕事でなにかを作るにしても、
いかに気持ち良く、楽しくつくるか。
お客さまがこれも見てどんな気持ちになったら、
お客さまは嬉しいだろうか?とか。
嬉しかったり、感動している気持ちをソウゾウ(想像・創造)しながら。
そして自分自身も嬉しくなったり、たのしくなったり、
安心したり、宇宙とつながって見たり??
気持ちって、すごい大事だと思うのです。
さあ、はなしたい事をはなしましょう。