どのように生きているだろうか。

寿命は長いようで短い気づくと義務教育である小中学校を卒業していき、少しづつ自立した人生を歩む。


充実した日もあるかもしれないが、それは1年のうち、どのくらいであろうか。本当に充実したのだろうか。お金の使い方よりもムズかしい人生のつかい方。みんなはどのように使っているだろうか。1日をほぼ勉強で終わらせてしまう人、真の自分ではない人間を演じ、人と関わり1日を終える芸能人....。

そもそも「」とはなんだろう。

この今より、一瞬後過去となり、一瞬前未来である。

つまり、今とはかけがえの無いものであり、この一瞬という「今」が過去も未来も変えてしまう不思議な空間でもある。

 自動車を運転しているとき、ほんの一瞬の操作ミスで、その人や周りの人の未来を奪ってしまう。その不幸な未来は、やがて今を通り過ぎ過去となる。

 一瞬一瞬を大切にせず生きてきた人は、未来をもつまらないものにしてしまうが、同時に過去につまらないものを蓄積してしまう。


 どちらも今というほんの一瞬のせいで、莫大な時間が狂ってしまう。


 今とは不思議なモノである。


 今を大切に生きよう。


 NOW is money.


月照らす 並木道より 霧深く

ヒグラシの音 共に歩く我

初秋の気配 待ち焦がれ

探し求めて ただ歩く

影 東より いづる頃

風 北より 吹き抜ける

ひとあし早い 便りかな




 「不登校 from 周囲の目」の記事で、考え方気のもち方について書いた。ただ、イマイチ実行する勇気がなのではないだろうか。実際、普通の日本人でもそこまで楽観視できる人間はほとんどいない。


 しかし、不登校をしてしまったり真の自分隠してしまったりするというのはどうだろうか。確かに、その慢性的な体調不良(体調不良の場合)をさらけ出し、学校や職場に通い続けると、周囲の目は気になるし、そのことについて何か言ってくる(あるいは陰口をたたく)人が出てくるかもしれない。


 だからって、不登校になるいうのはうであろうか。こちらの場合はなにか痛烈なこと言われているだろうし、なにより、学校に復帰したときの自分の見られ方について、な風に定着してしまう恐れもある。(偏見)


 というのは、人が人を判断するとき、2~3秒第一印象を決めてしまっているのである。「不登校」はなおさらで、それが定着してしまうと、普通に復学したとしても、なにか偏見をもたれてしまうことがある。(そんな人間無視してほっとけばいいことではあるが.....。)


 つまり、行っても行かなくても同じであるということ。(ただし、 行った場合は周囲の理解も得られるし、あとで述べるが、明るくしていれば人は寄ってくる。弱点なんか誰も気にしなくなるし、そもそも自分が気にしているほど他人は見ておらず、変な噂をしている人もそのうちしなくなる。)


 それだったら、「不登校 from 周囲の目」の記事に書いたとおり、周りの目を気にしなで思い切って普通に登校し、元気にふるまえば良いのではないか。


 笑顔元気明るくふるまえば、自然と人は寄ってくるし、その人を元気にさせることさえできるし、逆に励まされたりもする。もし、うつむいていたり、暗くぼーっとしていたり、表情や声のトーン暗く積極的に話さないでいると、自然と人は遠ざかっていく


 ――類は友を呼ぶ――


 自分がどのような人を見たら幸せな気分になれるか、あるいは話しかけやすいか、いい印象を持つか、というものを意識し、客観的に自分を見てみるといいと思う。

  

 カメラを通して様々な人に見られる芸能人は、常に輝いている容姿もとてもよい。ネットや世間の口コミなどで、もっとも批判を受けたり、周りを気にしてしまう立場である「芸能人」であるが、彼らは非常にすごいと思う。


  君は君の人生を―Do your best―